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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2022.08.03
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​​朴沙羅「家(チベ)の歴史を書く」(筑摩書房)
​​​ 2018年に出版された本です。書いたのは朴沙羅1984年生まれ在日コリアン二世の女性です。​​​出版当時、​​京大の社会学の博士課程を出て、神大の博士課程で講師をされていた若手の学者さんです。内容は、戦後、済州島から大阪に渡ってきた、彼女の家族、在日一世伯父さん、伯母さんからの聞き取りの記録です。​​
​ こう書くと、なんだか堅苦しいオーラル・ヒストリーを予想されるかもしれませんね。お読みいただければお分かりいただけると思いますが、その予想はハズレれると思います。まあ、とりあえず、著者による執筆の動機が語られている「はじめに」と題されたまえがきからちょっと引用してみます。​
 ぼく自身は、同居人が新刊当時に購入して読み終えて、棚に並んでいた本書がよろけてぶつかって落ちてきたのを片づけようと、偶然手にとって、この文章を読んで、一気読みでした。
はじめに
 自分の親戚がどうやら「面白い」らしいことは知っていた。
 私の父は在日コリアンの二世で、母は日本人だ。父は10人(早逝した人を含めると11人)きょうだいの末っ子、母は一人っ子で、日本にやってきてから生まれたのは父だけだ。つまり、私には在日一世(日本に移住してきた第一世代)の伯父と伯母が九人(配偶者を含めると一八人)いる。伯父や伯母にはそれぞれ一人から四人の子がいる。彼らはほぼ全員が大阪に住んでいる。
 彼らはもともと、済州島(チェジュド)の朝天面(チョチョンミョン)新村里(シンチョンリ)という村から来た。 
​中略​​

 私が大学を卒業する頃まで、父の親戚たちは年に最低三回(正月・祖母の法事・祖父の法事)は集まっていた。いわゆる「祭祀(チェサ)」といわれるものだ。そこでは、伯父や伯母が口角泡を飛ばして、時に他人には理解できないような内容で争う。最終的には殴り合いになることも少なくなかった。
 私が小学生のころは、数年に一度、親戚で集まって済州島に住んでいる親戚を訪ね、墓参りと墓の草刈りをした。そのときの写真は、いまも実家にある。同じような顔と体型の人たちが五〇人くらい、山の中にある墓に行って草を刈り、そのあと草を刈ったばかりの地面にゴザを敷いて法事をしてご馳走を食べる。
 祖母の墓は山の中腹の、見晴らしのいい少し開けたところにあった。祖母の墓のすぐそばには背の高い松の木が生えていた。祖母はそこが好きだったらしい。私の生まれる五年前に祖母は亡くなったが、そういう話を聞いて、何も知らないのになんとなく寂しいような嬉しいような気持になったものだ。
 私が生まれてほどなく、祖父は他界した。通夜の席で伯父たちは、祖父をどこの墓に入れるか、大阪なのか最終等なのか、祖母と同じ墓に入れるのか、いやあの二人はあんなに仲が悪かったのだから同じ墓に入れてはいけない、と言い争い、祖父の霊前で殴り合ったらしい。それを見ていた母の父は、えらいところに娘を嫁にやってしまった、と思ったらしい。
 私がまだ三歳かそこらの頃、その親戚たちがどういうわけか、京都・嵐山で花見をした。そして例によって殴り合いになった。彼らは最終的にビール瓶だか一升瓶だかで殴り合い、見かねた周囲の人が警察に通報した。やってきた警察官は、伯母(伯父の妻)たちに「兄弟喧嘩やからほっといて」と言われて、特に何もできずに立ち去ったらしい。ちなみに、私はそのときみんなの弁当から、好物のハンバーグだけを取り出して食べながら「けんかをしたらいけないんだよ!」と言っていたそうだ。
​ この本では、こういう面白い人たちが、いつどうやって、なぜ大阪にやってきて、そのあとどうやって生きてきたのかを書いていく。いわゆる家族史と呼ばれるものだ。
​ ​​​​このあと、この本では二人の伯父さん二人の伯母さんにインタビューした記録が、朴沙羅という学者の卵と、その「面白い」親戚たちとの会話のように綴られていきます。​​​​
​ それは、戦後やむなく大阪にやってきた在日一世の70年の生活の思い出の聞き取りであると同時に、1984年生まれの在日二世朴沙羅​にとって、なぜ、「自分の親戚がどうやら『面白い』らしい」と感じるのかを考えるプロセスのドキュメンタリーでもありました。​​
​​​​ 伯父さんや、伯母さん朴沙羅さんとのひたすら「面白い」会話のシーンを書き写したい衝動にかられますが、やめておきます。​​​​
 で、著者が、おそらく書き終えて、そのときの気持ちを綴っているところ、まあ、あとがきみたいものですが、そこから引用してみます。
 ​私は「家(チベ)の歴史」を書こうと思った。彼らの存在を歴史として残したいと思った。それは、遠くない将来に彼らが皆死に、彼らが私に見せてくれた世界が、生きている世界としてはもはやアクセスできなくなるからだった。
 彼らが語ってきたことは、日本人にとっての「空白」かもしれない。けれども、私にとってはそれこそが過去であって、他の人から見たら空白であるなどとはそうぞうもつかなかったようなものだからだ。おそらく私が知らないたくさんの空白が、歴史の中にあるのだろう。
 敗戦から今日までの時期に限定しても、例えば、引揚者障碍者被差別部落出身者が生きてきた戦後の世界やいまの世界は、私にとって空白である。でも、その世界に生きている人々にとっては、自分たちの世界ともう一つの(マジョリティの)世界の二つある。
中略
 彼らの生きている世界は日本人の築いてきた戦後社会の規範や知識を共有している(そうでなければ、彼らの世界を理解することも記述することも不可能だろう)と同時に、彼らの世界にしかない知識や規範がある(から。読み手が面白いと思える)。
 誰のために、何のために、私は「家(チベ)の歴史」を書こうと思ったのだろうか。最初はもちろん、私のためだった。私はなぜここにいて、こんな思いをしなければならないのか知りたかった。けれども、もしかしたら「空白」を埋める一助になるのではないか、とも思っている。
中略
 しかし、歴史を書くことも、空白を埋めることも、空白を指し示すことも、伯父さんや伯母さんたちのためではない。
 だって彼らはきっと、私がもしこの本を「書きました」と言って持って行ったら「読まれへん」「わけわからへん」「こんなもん、おれが読むと思とんか」などと言いながら、本の角で頭をしばきにくるか、あるいは「ほんでこれ売れたらなんぼになるんや」とお金の話を始めるだろうから。
 この本は伯父さんたち、伯母さんたちがいなければ書けなかった。あなた方が私をここまで連れてきてくれました。あなた方がいて、話してくれたから、私は今のように生きていくことができるようになりました。どう伝えればいいかわからないけれども、ありがとうございます。(P298)
​​​​​​​​ 本文中で、著者のことを「学者の卵」と書きましたが、彼女はれっきとした社会学の学者です。この国の戦後社会の「空白」を、ここまで、その社会を生きた人間にそって描いた学術書を、まあ、素人の歴史好きの浅学のせいもあるでしょうが、ぼくは知りません。彼女は自分のこの著書が「伯父さん」「伯母さん」を喜ばせることはないだろうと、やや自嘲的に記していますが、偶然手にとった徘徊老人の心をわしづかみにしたことは事実です。久しぶりに見つけた新しい書き手のことを誰かに言いたくてしようがないくらいです。皆さん、まあ、読んでみてください。
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最終更新日  2022.08.04 20:43:21
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