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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2022.08.07
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​100days100bookcovers no78(78日目)
​池内了『物理学と神』集英社新書​​
 川上弘美『神様』というKOBAYASIさんからのバトンは10月21日に受け取りましたが、あいかわらず遅れていてすみません。仕事を一つを片付けられたと思ったら、風邪をひいてしまい、いつまでも治らなくてぐずぐずしています。本はすぐに決めたのですが、読み直していても、老化でなかなか頭がついていかなくなってて、読むだけでも時間がかかってしまいました。
 以前、村山斉『宇宙は何でできているのか』のあとに続く本として、『幼年期の終わり』にするか、これにするか迷ったのですが、あのとき選べなかったこの本を今回取り上げることにします。
 ​池内 了 著 『物理学と神』集英社新書 ​
 2002年12月初版ですが、私が持っているのは2007年10月29日第15刷とありますから、随分増刷されたんですね。その上、今回初めて知りましたが、その後、2019年2月講談社学術文庫で発行されているらしいです。その文庫も図書館から借りました。文庫版のあとがきには​
​「思いがけなく多くの支持を得て集英社新書のロングセラーになった。しかし、さすがに10年を超すと手に取ってみる人も少なくなり、絶版の危機を迎えていた。基本的には物理学史の本であり、時代とともに古びる内容でもないので、このまま姿を消すのは残念だと思っていた。幸い、講談社学術文庫から声がかかり、その一冊に加えてもらえることになって喜んでいる。同文庫の一冊になれば長く読み継がれることが期待できるからだ。」​
 ​と、文庫化の経緯も書かれていました。私もこの本は残ってほしいと願っています。
 手に入れた当時の本の帯には​
​​「神を拒絶したはずの物理学者は、実は神に踊らされているのかも……」​​
 ​とあります。当時は小説を全然読まなくなって、それより、柳田理科雄空想科学読本シリーズ「子どもの科学」「ニュートン」などの雑誌やらサイエンス・エッセイの方が面白いと思っていました。そんなころですから、この帯の惹句はドンピシャで惹かれました。宇宙観の歴史がわかりやすく面白く書かれていました。文章がいいのですが、お兄さんはドイツ文学研究や翻訳で有名な池内紀です。物理学もドイツ語圏ってすごいですね。お二人とも、姫路西高校ご出身ですね。お互いいい影響を与え合う関係だったのでしょうか。姫路には歴史や文学や文化の厚みがあるのでしょうね。(池内紀の訳のおかげで『ファウスト』も読むことができましたし、カフカゲーテについてのものも、温泉散歩エッセイもどれも落ち着いたユーモアのある筆致が好きでした。おととし亡くなられたのがとても残念です。)
 以前はとてもおもしろいと思って手放さずにおいていた本ですが、実はほとんど消化(理解)できていないことが理解できて、いざ書くとなるとどうしようかと七転八倒しています。
 現代は科学が宗教に取って代わった時代と言われ、物理学(自然科学)と神(宗教)は無関係なはずですが、ちょっと考えたら、ニュートンの万有引力やアインシュタインのエネルギーの公式が、ほとんどすべてのものに(量子は別)当てはまるのって、不思議で感動的で、私も神さまがいるのではないのと思ったことがあります。私は、人間社会も物理法則や生命現象のアナロジーとした方が腑に落ちるんです。つい、中二病的な類想が浮かんできます。―重力の大きい物ほど引っ張る力が強い→大きな資本が小さな資本を呑み込む経済現象。適者生存、自然淘汰。エントロピーは増大する→ものは必ず散らかる。重力から遠いほど位置エネルギーは大きい→高い所にいるものほど(権)力は大きいーなど、勝手に結び付けたりして遊んでいますが。
 神と物理学を並べる狙いを筆者はあとがきに書いています。
​――(略)そもそもの意図は、歴史的に物理学者が「神」や「悪魔」をレトリックとして使って、物理法則の美しさを称えたり、難問を考え出したりしてきたことを、現代から逆照射して、その本来の意味が何であったかを考えてみようというものであった。机の上では唯物論者である物理学者だが、自然の摂理を解き明かしていくうちに、その絶妙な仕組みに感嘆して秘かに神の存在を仮想することがある。かくも美しい法則は神の御技でしかあり得ないだろう、と。あるいは、自らの審美眼と相容れない自然の姿に逢着すると、それを否定するために神を持ち出したりもする。厳密な論理を組み立てて得られた物理法則であれば、それを気に入らないと拒否するためには神に頼るしかないからだ。一神教の西洋に発した近代科学も、神と無縁であったわけではないのである。
   そこで、物理学の歴史をたどりながら、それぞれの時代において物理学者が神の名を使って何を表現しようとしたかを提示してみようと考えた。――​
 また、物理学法則の特徴や概念を専門用語も数式も使わずに説明する手段として神や悪魔に仮託しようとの狙いだったと書いてもいます。そのおかげで、私も多少は、今までどんなことが問題とされてきたのかがわかりました。
 筆者による「神の変遷史」を書いてみます。
 第1期 17世紀の近代科学の夜明け
 ​第1章 神の名による神の追放 ​
 この章あたりは、高校時代の倫理社会や古典物理学で習ったことの復習を兼ねて、ヨーロッパの自然科学が神の唯一絶対神の縛りをほどいて活気づくあたりのことなので、わかりやすくおもしろかったです。
自然哲学の研究が始まったために、神が書いた二冊の書物―「自然」の仕組みと『聖書』の記述―が矛盾していることが発見された。天動説では、神は宇宙の中心の地球にあることが保証されていた。しかし、惑星の観察が進んでいくと、天動説では7つの星の運動を説明するためには、80を超える円運動を組み合わせなければならなくなった。星の観察が進み、さらに複雑で醜悪な理論が必要になるうちに、「神はもっと単純で美しい宇宙を創ったはず」、最小の仮定で最大の結果が得られる理論こそ美しいとの立場に立てば、地動説に移ることになった。そして、地球が宇宙の中心という特権的地位を失った時、唯一神が地球に在るという根拠もなくなってしまった。
 コペルニクスの時代は、宇宙とは太陽系のことなので、神の座は宇宙の中心の太陽に据えるべきでしょうが、燃え盛る灼熱の太陽ではさすがの神も居心地が悪いだろうからと、コペルニクスは、神の居場所と宇宙体系とを切り離した。一方、ルター派やカルヴァン派は聖書に書かれていることが正しいと考え、天動説を主張し続けた。(そういえば、今も福音派の中にはそう考えるひともいると聞きます。)
 ガリレイが天の川が無数の「太陽」の集まりであることを発見して、宇宙は一挙に拡大することになった。そして、神はより広い星の世界全体を統括する存在になった。こうして、神は地上から追放されたが、折しも、地上の権力が教会から世俗領主に移ったのと時を一にしている。
 ニュートン1682年、宇宙は無限であると証明。もし、有限なら宇宙には中心と端があることになり、端のものは万有引力で中心に落下するから、宇宙は潰れてしまう。宇宙がつぶれることなく永遠に存在するためには、中心も端もない無限空間に星が散らばり、万有引力は互いに消し合っているに違いない。無限宇宙こそ完全なる神にふさわしいとした。
 地動説、ガリレイの実験、デカルトの方法論など、近代科学の黎明期は、神が地上から追放され、神の名による干渉を受けずに自然研究が可能になった時代であった。
 第2期 18世紀から19世紀末 神々の黄昏がゆっくり訪れた時期
 第2章 神への挑戦―悪魔の反抗 
 第3章 神と悪魔の間―パラドックス
 この章では、神授された王権が衰退し、神のような永久機関と魔術のような錬金術も諦められた経緯がかかれていました。代わって、職業的科学者らがエネルギー保存則、エントロピー増大則を提唱します。その法則を宇宙にあてはめたら、宇宙は熱死することになると言い出す始末。
また、宇宙に存在する星からの光をすべて足し上げると、太陽の明るさよりもっと明るくなって「夜空は明るい」ことになるはずとの謎も提出される。でも、この問題が解かれるはるか以前の1845年に、エドガー・アラン・ポー『言葉の力』というエッセイで「宇宙には金の壁(ゴールデンウオール)があって、それより向こうの星の光は我々に到達しない」とか、1848年の詩論集『ユリイカ』「あまりに宇宙が巨大であるため、光線が未だ到達し得ない領域がある」と述べたことが紹介されています。筆者はおそるべき詩人の直感と書いていますが、私もこのほうがなんとなく、なんとなくですが、イメージしやすいと思いました。
 第3期 20世紀初頭、すべてを統括する神は退場し、新しい装いで再登場
 第4章 神のサイコロ遊び
 ​マックス・プーランク、ニールス・ボーア​の量子論、​ハイゼンベルグ​の不確定性原理、アインシュタインの一般相対性原理の時代。このあたりはもう私にはお手上げですね。アインシュタインは最初、この確率論が気に入らなくて「神はサイコロ遊びをしない」と言ったそうです。でも、現在のIT機器は、不確定原理の量子論のおかげで機能しているんですってね。
 また、ハッブルによって、宇宙が膨張していることが発見され、宇宙の熱死問題も解決された。宇宙空間は膨張し続けているので、星の廃熱を捨てられる場所もどんどん増えているんだそうです。そのかわりに、いつ、どんなふうに膨張が始まったのかが問題になってきたらしい。神が最初の一撃を加えたら膨張し始めてあとは傍観しているだけっていう説。ビッグバンですね。この説を揶揄して「ビッグバン(大きいバンって擬声音)みたい」と言われたがその通りという冗談のようなネーミングなんだそうです。
 第4期 20世紀後半 神は本当に賭博が好き
 第5章 神は賭博師
 カオス論や複雑系が論じられる時代。この部分はレポートはパスします。「フラクタル」という自己相似的な現象についてのエピソードだけ紹介します。(例えば、木の太い幹から大きな枝へ、大きな枝から小さな枝にと次々分岐していくパターン。宇宙も、月が地球を回り、地球は太陽を、太陽系は銀河系を、銀河系はアンドロメダ銀河を回っている。割れたガラスの破片も似ていることが多い。)
 ​寺田寅彦​がちょっと出てきます。​
​――かつて、寺田寅彦が興味を持ち(ガラスを何百枚も壊して破片の数分布を数えたとエッセイに書いている)、その弟子の平田森三(もりぞう)が専門としてさまざまに考察した(キリンのまだら模様と田んぼのひび割れた形の類似性に着目した)が、形を定量的に表現する方法が見つからなかったので、そのまま立ち消えになってしまった。フラクタル幾何学が提唱され、また空間分割や対称性の研究などが進んで、形の研究はようやく物理学の範疇に入ってきた段階と言える。――​​
​ ここで、最も古いフラクタル世界を表現したものとして、平安時代の曼陀羅図があげられているのが面白いです。世界は唯一神ではなく、八百万の神々が鎮座するという思想の表現ですね。この世をフラクタル世界なら、神は唯一ではなく、無限にどこにでも存在するという宗教観に移っていくのでしょうか。
 第5期 現在 神はさまざまな危機に直面している
 第6章 神は退場を!―人間原理の宇宙論
「この宇宙はなぜ存在するのか」という問いに対し、神ではなく、人間にこそ答を得るための鍵があると主張する「人間原理」を唱える職業科学者(悪魔)が現れてきました。実際不思議なほど、この宇宙は人間に都合よくできているのだそうです。つまり、「この宇宙の主役は人間であって神ではない」と言えるそうです。著者は、この傲岸不遜な説には批判的ですね。
 第7章 神は細部に宿りたもう 
 物理学の根本的矛盾を楽しんでいるような感じがします。
 普遍的な平等世界を創る存在であったはずの神なのに、実は不平等な現実世界をもたらしている元凶であることが暴露されて、神への根底的不信感が芽生えてきた。神は、本来、対称(平等、一様、対等、普遍)な原理的世界を体現する存在であるはずなのに、この現実世界は対称性を破らねば創り出せない。「原理は対称、現実は非対称」なのだ。とすると、神は非対称(不平等、区別、差別、特殊)な現実世界を創ることに腐心してきたと考えざるを得ない。でなければ、人間も、神もこの世に生まれなかったことになる。自ら対称世界を具現しつつ、それを否定しなければ自らが存在しえない。神は大いなる矛盾に遭遇していると言えそうだ。
 最近は経済物理学という分野もできているらしい。まだそのまま信用するわけにはいかないが、簡単な議論で本質的な部分を導き出すことはできる点が面白いと紹介している。
 これから 神は姿を変えて再び立ち現れるだろう
 第8章 神は老獪にして悪意を持たず 
 宇宙論の危機と言われているそうですが、当たり前。今のところ、人間は宇宙の地平線までの距離の300分の1しか観測できていないし、宇宙の95%の成分について、知らないまま。それなのに、わかったふうに、宇宙の年齢や構造を論じているそうです。著者はまだまだわからないことがいっぱいあることを楽しんでいるかのようです。
 著者は、かつてBS-NHK「フランケンシュタインの誘惑」という番組によく出ていて、科学や技術を持ち上げるような雰囲気のときには、水を差すような御意見番のような役回りをしておられましたね。日本の科学者の立場がどんどん苦しくなって研究費にも事欠いているとは思うのですが、選択と集中で研究費を獲得しやすい研究にも目を光らせなくてはとも思いました。湯川秀樹博士、益川敏英博士のように、社会の科学研究利用に厳しい視点を持たれていると感じました。
 物理学はやっぱり手ごわかったです。自分で消化できないまま引用に頼ったので、お読みになりにくい点が多々あるかと思います。見える現実から離れて遠くの世界のことを思い浮かべ、これこそ現実なんだなって思うのは楽しい時間でした。クリストファー・ノーランの映画のいくつかのシーンがよく思い浮かんできました。
 ​​SIMAKUMAさんは、きっと読まれたことがおありかと思います。また、いろいろ教えてくださいね。今回の「人間原理」もYouTubeを参考にしました。家で大学の公開講座が見られるなんて、便利な時代になりましたね。お次をよろしくお願いします。20211114​・E・DEGUTI

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​​​​​​​​​​​追記2024・05・03  
 ​100days100bookcoversChallengeの投稿記事を ​​​100days 100bookcovers Challenge備忘録 ​(1日目~10日目)​​ (11日目~20日目) ​​​(21日目~30日目) ​​​(31日目~40日目) (41日目~50日目) ​​(51日目~60日目))​​ (61日目~70日目) (71日目~80日目)​という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと​備忘録が開きます。​​​​​​​​​


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最終更新日  2024.05.03 21:08:50
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