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森井勇佑「こちらあみ子」元町映画館 今日は元町映画館で二本立てでした。もっとも、見たのはポスターにある「教育と愛国」、「こちらあみ子」のセットではなく、「歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡」と「こちらあみ子」のセットでした。
今村夏子の小説「こちらあみ子」は、うまくいえないのですが、数年前に初めて読んで強く打たれた記憶がある作品でした。 「そうだよな、そういう人間の在り方ってあるよな。でも、人というのは、そういう在り方のことを説明してしまうんだよな。この小説は、説明しないで、あみ子がここにいると書いた、書くことは説明の始まりだけど、なるべく説明にならないように描いたところがすごいんだよな。だから、誰かにこの小説はね・・・と始めると、伝わらないんだよな。」 まあ、こんな感想を持ちました。例えば、とっぴな例で申し訳ないのですが、ドン・キホーテなんていう人物は、あくまでも小説世界の人物だから、あれだけ輝くと思うのですが、現実の中に置いてしまうと、ただの困った人になりかねません。私見ですが、映画というのは、リアリズムで見ると、現実と見分けがつかないわけで、「そこに小説世界の人物をおいてしまうと・・・?」という危惧を感じながらですが、映画になったというので見に来ました。 「うまくいかないだろうな」の予想の通り、うまくいっていないと思いました。あみ子が生まれてくる前に死んだ弟の墓を楽しそうに作ります。それを見て、流産した母親が泣きます。素直だった兄がグレます。父親があみ子を遠ざけるようになり、あみ子を祖母のもとに預けます。あみ子の社会性の未熟さと、それについていけない家族の崩壊と子捨てのプロセス、小説の展開を映像化すればそうなるのですが、それでは、小説の中で「こちらあみ子」と電池が切れているかもしれないトランシーバーで呼びかけてきたあみ子に、映画は応答したことにはならないのではないでしょうか。 最後のシーンで 大丈夫じゃ! と言わせる映画製作者、森井監督は、何とかあみ子の存在を肯定しようとしているように見えますが、あみ子が求めているのは、同じ場所からの 応答! であって、彼女に対する肯定や否定の判断や存在のありように対する大人の理解などではないのではないでしょうか。 じっと耳を澄ませて、 あみ子の声を聴く場所 に、なんとか読者を引き留めた今村夏子は、この作品を見て納得するのでしょうか? 製作者も俳優も真摯に取り組んでいることは間違いありません。あみ子を演じた大沢一菜という子役の演技にも感心しました。しかし、こちら側から描けば描くほどあみ子は遠ざけられてしまい、あるいは、隔離されてしまい、あるいは、捨てられてしまう。 うまく言えないのですが、そこのところにどうしても違和感が残った作品でした。やっぱり、拍手はしません! 監督・脚本 森井勇佑 原作 今村夏子 撮影 岩永洋 編集 早野亮 音楽 青葉市子 主題歌 青葉市子 キャスト 大沢一菜(あみ子) 井浦新(お父さん・哲郎) 尾野真千子(お母さん・さゆり) 2022年・104分・G・日本 2022・07・22-no92・元町映画館no141 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.11.09 11:37:37
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