ゴジラ老人シマクマ君の日々
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シマクマ君
シマクマ君のゴジラブログへようこそ。今日は図書館、明日は映画館。あれこれ、踏み迷よった挙句、時々、女子大生と会ったりする。大した罪は犯さない、困った徘徊老人。「週刊読書案内」・「先生になりたい学生さんや若い先生にこんな本どう?」・「映画館でお昼寝」・「アッ、こんなところにこんな…わが街」とまあ、日々の暮らしのあれこれ、いたって平和に報告しています。
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元町映画館で上映していました。見たのは松井至監督の「私だけ聴こえる」という作品です。なにも知らずに見ました。 耳の聴こえない両親から生まれた耳の聴こえる「コーダ(CODA=Children Of Deaf Adults)」子どもたちが、成長し、やがて「母」になる姿を撮ったドキュメンタリーでした。 昨年「コーダ」という作品を見て、初めて「コーダ」という言葉を知りました。あの映画はドラマでしたが、見ていて、耳の聞こえない母親が、生まれてきた赤ん坊の耳が聴こえることに落胆するというストーリーの中の挿話を見ていて不思議に思ったことを思い出しました。 その時には、気付けなかったことでしたが「私だけ聴こえる」の中で、聴こえない家族中の聴こえる子供たちの置かれている「場所」の辛さに、この映画を見ながら、初めて気付いた気がしました。 わかったなんていうのは不遜ですね。ぼくは40年近くの「人と出会う」仕事をしてきましたが、その仕事の中でも、家族生活の中でも、そのほとんどが、聴こえる人たちとの出会いでした。 聴こえない人がどんなふうに生きているのか、まじめに考えたことがありません。そんな人間ですから、聴こえない母のもとに生まれた子供が、何を考えて暮らしているのかなんて、想像したこともなかったわけです。 自分の境遇を当たり前だと思うことで、見えない場所や気づけない事件に鈍感になるだけでなく、いつの間にか抑圧してきたのではないか、踏みつけにしてきたのではないか、そんなふうに自分を振り返る作品でした。 大人になった、主人公たちの一人の女性が耳の聴こえる子供を出産し、育てるているシーンがラストに映ります。 言葉を覚え始めた赤ん坊に手話を交えながら語り掛けるシーンです。うえのチラシに彼女が赤ん坊を抱いて「愛している」の指文字で手を振りながら、窓からこちらを見ている写真がありますが、この赤ちゃんは、耳が聴こえたり、目が見えたりすることを当たり前で普通のことだと思いこむ大人には、きっとならないと思います。 ぼくたちは、自分が普通だと思い込んでいる狭い世界に生きてきて、本当は「見えない世界」の中の、ほんの小さな安逸の中で、結構、自分のことを常識的でいい人だとか思いながら充足しているのにすぎないのですが、本当のところは、見えないことをいいことに、知らんぷりを決め込んでいるにすぎないのかもしれません。 例えば「コーダ」という言葉も、その言葉がどんな人たちを指すのかも、ぼくは知りませんでした。この作品を見なければ、気付かないまま年を取る人生を送ってたでしょう。気づいたからどうなんだ、そんな問いかけも、心の中にはあります。でも、見えなかった世界が、少し、ぼく自身にとっての普通になるのは、やはり、ちょっと嬉しいのです。 窓際で手を振っている親子に、ちょっと手を振り返すことができるかもしれないという、ささやかな喜びですが、コーダのお母さんのさんの願いに、ぼくのような老人だけでなく、他の多くの人も気づく世の中が来ることを祈ります。胸を打つ作品でした。拍手! 監督 松井至 共同監督 ヒース・コーゼンズ 撮影 ヒース・コーゼンズ 編集 ハーバート・ハンガー 音楽 テニスコーツ 2022年・76分・G・日本 2022・09・27-no113・元町映画館no145
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