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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2022.11.18
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​​リービ・秀雄「天路」(講談社)​​
 久しぶりに、最初のページから、ページを繰り始めて、次へ次へと素直に読みすすめ、ほぼ最後のページに至って、ジンワリと涙がにじんでくる小説を読みました。
​​ リービ・英雄「天路」(講談社)という作品です。映画が好きで、最近、よく映画館に通っています。小説を読むのに比べて、読まなくても勝手に話が進んでくれるので便利です。ほぼ、2時間で、結末まで連れて行ってくれます。​​
 小説は、読むのをやめると、そこで止まってしまいます。再び読み始める時には、聞き覚えのある「声」を探して、しばらく戸惑うのですが、再び、その「声」が聞こえはじめると、世界が再び動き始めます。
​​ 聞えてくる「声」は語り手のもので、必ずしも登場人物たちの会話や話し声のことではありません。書かれている文章には必ずあるはずだと思うのですが、映画にはありません。映画と小説の違いは、多分そのあたりにあると思いますが、とりあえず、「天路」に戻ります。
​​​​ カバンには「ロンリー・プラネット」と旅行会社からもらった地図を入れて、かれは早朝に新宿の部屋を出た。東京駅で成田エクスプレスに乗り、第二ターミナルで下りて、東方航空の十時便に何とか間に合った。
 乗りこんだとき、飛行機が前より小さくなったのに気がついた。連日のテレビ・ニュースに報道されている領土問題で、乗客が少なくなったのだろう。そのことを予測していたが、小さい飛行機は逆に息苦しいほど混みあい、荷物棚には象印の五万円の電気釜とTOTOの最先端の便座がぎっしり詰められ、前列からも後列からも、ケーラー、ケーラー、ノンラーと上海語がかれの耳に大きく鳴り響いていた。(P6)​​
​ ​​​語りはじめられた冒頭の描写です。「声」の主は新宿の部屋を出て成田から中国行きの飛行機に乗った「かれ」と、おそらく同一人物なのでしょうが、今、この文章を書いている「声」の主と、上海語の喧騒の中にいる「かれ」は、一応、別の存在です。​​​
​​​ このところのぼくには、書かれている文章の「声」の響きに対して、その時、その時にゆらぐ自分を感じることが、どうも、小説、まあ、小説に限りませんが、文章を読むことになっているようです。
 で、あらかじめの結論をいえば、この、何気ない旅の書き出しで始まる「天路」という作品は、そのゆらぎの快感が群を抜いていました。​​​

​​ かれ上海で中国の国内線に乗り換え、山東省の地方空港で漢民族の旧友と再会します。​​
 ​​山東省のナンバープレートの上に「日産」とBLUEBIRDという文字が、月光の下で読みとれた。そして黒い皮膚の上に無数の斑点が現れるように、車体のいたるところに赤いスティッカーと「祖国の領土を死守する」というスローガン、そして小さな島にそびえる円錐形の山の後ろの真赤な拳の絵と、「釣魚島は中国のものだ、日本人は出て行け!」という意味の文字のスティッカーだった。
 静まりかえった駐車場の中で、叫び声のような文字が妙に目立った。(P8)​​
​ ​​​空港の駐車場で待っていたのは、まあ、こんな、スティッカーだらけの自動車と友人だったのですが、ここから、中国を縦断し、西安からチベット、作中の友人の言葉でいえば「大西部」への旅が始まります。映画で言えば、ロード・ムービー、「自動車と男と女」ならぬ、「自動車と男と男」の旅です。​​​
 大西部の旅のために二日間、山東省から高速道路を走りつづけた。
 謝謝你(シェイシェイニー)、とかれは弱々しい声で言った。
 いや、あなたこそ遠方よりよく来てくれた。友人の声には、一瞬、おおらかさがもどった。
 それからまた独り言を言いつづけた。
 但是(ダンシル)、ところが、西安を過ぎて本格的に西方へ入りこんだあたりから、面白いことに気がついた。西へ行けば行くほど、愛国スティッカーが見当たらなくなった。
友人はまわりで駐車している何台かの日本車を指さした。
 ここまで来ると、そんなものは一つもないでしょう。
 ターミナル・ビルのすぐ後ろにそびえる真暗な山脈を友人が指で示した。そして振りかえり、反対側で層をなす山々を指した。
 北の山脈の向こうでは砂漠が敦煌までつづき、南の山脈の向こうでは高原がラーサまでつづいていた。
 膨大な大西部の中には、日本そのものが三つも四つも入る

 ​​それで、私は思う、と友人が言った。
 一瞬経ってから、私も思う、とかれは答えた。
 友人もかれも、ほぼ同時に言い出した。
 それでは、剝がしましょう。​​
 ​激怒の文字がめくれ上がった。「愛国無罪」がとれた。
 ウオツリジマの絵がたやすく落ちた。
 剥がす音とともに、北方からも南方からも、砂漠と高原の静けさが聞えてきた。
 最後の五星紅旗をはがしたとき、ついでに日産の文字もけずりたくなった。母国の星条旗を剝がす自分を想像した。
 その時、かれの心には「親」も「反」もなかった。ただテレビ画面からうっとうしいニュースのテロップを引きちぎっているような気持になった。
 数分のあとに、ブルーバードの車体が月光の下で黒く輝いていた。
 走吧(ヅォーパ)、と漢民族の友人が言った。
 さあ行こうか。
 走(ヅォー)、と答えるかれの声で、二人はブルーバードに乗りこんだ。
 「国家」を剥がされた車は、エンジンが勢いよく、青い鳥の元の軽みを取り戻したように、空港の南方の、チベット高原に向ってすっと走り出した。(P12)
​​​​ 小説は「高原の青い鳥」「西の蔵の声」「文字の高原」「A child is born」4章で構成されています。上に引用した始まりのシーンは、「高原の青い鳥」の冒頭近くの部分ですが、ここからラーサの寺院まで旅は続きます。語り手の静かな「声」が印象的な作品ですが、実は、なんの事件も起こりません。​​​
​​​ 友人「藍天白雲(ランティエンハイユン)」と叫ぶ空の下、二人の自動車の旅が続くだけですが、リービ・英雄という、日本語で書くアメリカ人作家の到達点を感じさせる「声」の美しい作品だと思いました。​​​
​ 生者が死者をおんぶして、天葬の場所へとこの山を登るのだ。
 おぼろげな記憶の中から、
 死者がたどる天路(あまじ)という古い日本語が頭に浮かんだ。
 昔かれはthe path to heavenと翻訳したこともあった。
 草の中のこの細い登り道も天路なのだろうか。​​
​​​​ 表紙の裏に印刷されている断章ですが、本文中からの引用です。
 リービ英雄はアメリカでも、有数の万葉学者だそうです。「万葉集」の英訳の仕事は有名です。作品名の「天路」は、中国語ではティエン・ルーと発音するそうです。読み終えて、その発音を声に出して読みなおしたときに、涙がこぼれました。マア、ぼくにとって、そういう作品だったということです。​​​

乞う、ご一読!ですね(笑)。

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最終更新日  2023.05.20 10:30:53
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