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リービ・秀雄「天路」(講談社) 久しぶりに、最初のページから、ページを繰り始めて、次へ次へと素直に読みすすめ、ほぼ最後のページに至って、ジンワリと涙がにじんでくる小説を読みました。
リービ・英雄の「天路」(講談社)という作品です。映画が好きで、最近、よく映画館に通っています。小説を読むのに比べて、読まなくても勝手に話が進んでくれるので便利です。ほぼ、2時間で、結末まで連れて行ってくれます。 小説は、読むのをやめると、そこで止まってしまいます。再び読み始める時には、聞き覚えのある「声」を探して、しばらく戸惑うのですが、再び、その「声」が聞こえはじめると、世界が再び動き始めます。 聞えてくる「声」は語り手のもので、必ずしも登場人物たちの会話や話し声のことではありません。書かれている文章には必ずあるはずだと思うのですが、映画にはありません。映画と小説の違いは、多分そのあたりにあると思いますが、とりあえず、「天路」に戻ります。 カバンには「ロンリー・プラネット」と旅行会社からもらった地図を入れて、かれは早朝に新宿の部屋を出た。東京駅で成田エクスプレスに乗り、第二ターミナルで下りて、東方航空の十時便に何とか間に合った。 語りはじめられた冒頭の描写です。「声」の主は新宿の部屋を出て成田から中国行きの飛行機に乗った「かれ」と、おそらく同一人物なのでしょうが、今、この文章を書いている「声」の主と、上海語の喧騒の中にいる「かれ」は、一応、別の存在です。 このところのぼくには、書かれている文章の「声」の響きに対して、その時、その時にゆらぐ自分を感じることが、どうも、小説、まあ、小説に限りませんが、文章を読むことになっているようです。 で、あらかじめの結論をいえば、この、何気ない旅の書き出しで始まる「天路」という作品は、そのゆらぎの快感が群を抜いていました。 かれは上海で中国の国内線に乗り換え、山東省の地方空港で漢民族の旧友と再会します。 山東省のナンバープレートの上に「日産」とBLUEBIRDという文字が、月光の下で読みとれた。そして黒い皮膚の上に無数の斑点が現れるように、車体のいたるところに赤いスティッカーと「祖国の領土を死守する」というスローガン、そして小さな島にそびえる円錐形の山の後ろの真赤な拳の絵と、「釣魚島は中国のものだ、日本人は出て行け!」という意味の文字のスティッカーだった。 空港の駐車場で待っていたのは、まあ、こんな、スティッカーだらけの自動車と友人だったのですが、ここから、中国を縦断し、西安からチベット、作中の友人の言葉でいえば「大西部」への旅が始まります。映画で言えば、ロード・ムービー、「自動車と男と女」ならぬ、「自動車と男と男」の旅です。 大西部の旅のために二日間、山東省から高速道路を走りつづけた。 それで、私は思う、と友人が言った。 激怒の文字がめくれ上がった。「愛国無罪」がとれた。 小説は「高原の青い鳥」「西の蔵の声」「文字の高原」「A child is born」の4章で構成されています。上に引用した始まりのシーンは、「高原の青い鳥」の冒頭近くの部分ですが、ここからラーサの寺院まで旅は続きます。語り手の静かな「声」が印象的な作品ですが、実は、なんの事件も起こりません。 友人が「藍天白雲(ランティエンハイユン)」と叫ぶ空の下、二人の自動車の旅が続くだけですが、リービ・英雄という、日本語で書くアメリカ人作家の到達点を感じさせる「声」の美しい作品だと思いました。 生者が死者をおんぶして、天葬の場所へとこの山を登るのだ。 表紙の裏に印刷されている断章ですが、本文中からの引用です。 リービ英雄はアメリカでも、有数の万葉学者だそうです。「万葉集」の英訳の仕事は有名です。作品名の「天路」は、中国語ではティエン・ルーと発音するそうです。読み終えて、その発音を声に出して読みなおしたときに、涙がこぼれました。マア、ぼくにとって、そういう作品だったということです。 乞う、ご一読!ですね(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.05.20 10:30:53
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