1715748 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ゴジラ老人シマクマ君の日々

ゴジラ老人シマクマ君の日々

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

プロフィール

シマクマ君

シマクマ君

カレンダー

バックナンバー

カテゴリ

カテゴリ未分類

(1)

読書案内「日本語・教育」

(21)

週刊マンガ便「コミック」

(84)

演劇「ナショナルシアターライブ」でお昼寝

(35)

徘徊日記「日帰りでお出かけ」

(62)

演劇「劇場」でお昼寝

(2)

映画「元町映画館」でお昼寝

(94)

映画「ちょっと遠くの映画館」でお昼寝

(26)

映画「シネリーブル神戸」でお昼寝

(90)

読書案内「映画館で出会った本」

(18)

読書案内「翻訳小説・詩・他」

(53)

読書案内「漱石・鴎外・露伴・龍之介・百閒・その他」

(23)

徘徊日記「垂水・舞子・明石」あたり

(53)

読書案内 「医者や科学者の仕事、まあ科学一般」

(27)

読書案内「現代の作家」

(100)

徘徊日記「お泊りでお出かけ」

(67)

徘徊日記「神戸・元町・三宮」あたり

(85)

読書案内「絵本・児童文学」=チビラ君たちへ

(48)

読書案内「社会・歴史・哲学・思想」

(77)

読書案内 「芸術:音楽・美術・写真・装幀 他」

(30)

読書案内「近・現代詩歌」

(54)

徘徊「港めぐり」

(4)

バカ猫 百態

(22)

読書案内「橋本治・加藤典洋・内田樹・高橋源一郎・他」

(18)

読書案内「水俣・沖縄・アフガニスタン 石牟礼道子・渡辺京二・中村哲 他」

(20)

読書案内「鶴見俊輔・黒川創・岡部伊都子・小田実 べ平連・思想の科学あたり」

(15)

映画「OSミント・ハーバーランド」でお昼寝

(2)

映画「こたつシネマ」でお昼寝

(13)

映画「パルシネマ」でお昼寝

(30)

読書案内「昭和の文学」

(25)

読書案内「BookCoverChallenge」2020・05

(16)

読書案内「くいしんぼう」

(9)

映画「Cinema Kobe」でお昼寝

(5)

週刊マンガ便「ちばてつや・ちばあきお」

(9)

週刊マンガ便「石塚真一・浦沢直樹・ハロルド作石」

(34)

週刊マンガ便「鈴ノ木ユウ・野田サトル」

(19)

ベランダだより

(151)

徘徊日記 団地界隈

(112)

徘徊日記 兵庫区・長田区あたり

(26)

徘徊日記 須磨区あたり

(30)

徘徊日記 西区・北区あたり

(10)

徘徊日記 灘区・東灘区あたり

(41)

徘徊日記 美術館・博物館・Etc

(5)

週刊マンガ便「吉田秋生・高野文子・やまだ紫」

(7)

徘徊日記 芦屋・西宮あたり

(11)

読書案内「大江健三郎・司修・井上ひさし・開高健 他」

(14)

読書案内「古井由吉・後藤明生・他 内向の世代あたり」

(3)

読書案内「谷川俊太郎・茨木のり子・大岡信 あたり」

(19)

読書案内「啄木・白秋・晶子 あたり」

(4)

読書案内「丸谷才一・和田誠・池澤夏樹」

(11)

読書案内「吉本隆明・鮎川信夫・黒田三郎・荒地あたり」

(13)

週刊マンガ便 「松本大洋」・「山川直人」

(13)

読書案内「リービ英雄・多和田葉子・カズオイシグロ」国境を越えて

(5)

読書案内「村上春樹・川上未映子」

(13)

映画 パレスチナ・中東の監督

(6)

読書案内「近代詩 賢治・中也・光太郎 あたり」

(7)

映画 韓国の監督

(25)

映画 香港・中国・台湾の監督

(37)

映画 アニメーション

(13)

映画 日本の監督 ア行・カ行・サ行 是枝・黒沢

(53)

映画 日本の監督 タ行・ナ行・ハ行 鄭

(26)

映画 日本の監督 マ行・ヤ行・ラ行・ワ行

(16)

映画 イギリス・アイルランド・アイスランドの監督

(41)

映画 イタリアの監督

(21)

映画 ドイツ・ポーランド他の監督

(24)

映画 ソビエト・ロシアの監督

(11)

映画 アメリカの監督

(99)

震災をめぐって 東北・神戸・原発

(3)

読書案内「旅行・冒険」

(4)

読書案内「本・読書・書評・図書館・古本屋」

(13)

映画 オーストラリア・ニュージーランドの監督

(5)

映画 フランスの監督

(49)

映画 スペイン・ポルトガルの監督

(10)

映画 カナダの監督

(5)

映画 グルジア(ジョージア)の監督

(15)

映画 ウクライナ・リトアニアの監督

(7)

映画 イスラエルの監督

(3)

映画 マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、スロベニアの監督

(6)

映画 オランダ・デンマーク・ベルギーの監督

(10)

映画 フィンランド・スウェーデン・ノルウェイの監督

(6)

映画 トルコ・イラン・カザフスタンあたりの映画監督

(12)

映画 ギリシアの監督

(3)

映画 アルゼンチン・ブラジル・ペルー・チリの監督

(6)

映画 ハンガリー・ルーマニアの監督

(5)

映画 アフリカの監督

(3)

映画 スイス・オーストリアの監督

(3)

読書案内 戯曲 シナリオ 劇作家

(1)

読書案内 ジブリの本とマンガ

(5)

週刊マンガ便「小林まこと」

(9)

読書案内「野口武彦・前田愛・橋川文三・藤井貞和」

(2)

映画 インド・ネパール・ブータン・アフガニスタン・タイ・ベトナム あたりの監督

(5)

週刊マンガ便 キングダム 原泰久・佐藤信介

(17)

読書案内「川上弘美・小川洋子・佐伯一麦」

(9)

読書案内「立花隆・松岡正剛」

(5)

日記/記事の投稿

コメント新着

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2023.02.16
XML
​西谷修「私たちはどんな世界を生きているか」(講談社現代新書)​
 ここのところ小説を読んでいても映画を観ていても、自分がどういう時代のどういう世界に生きているのか訝しく思うことがしょっちゅうあります。マア、もう、そこそこの年齢なわけですから、世間には背を向けて「知ったことか!」と嘯いていてもいいようなものですが、性分なのでしょうね「なんでそうなるの?」の苛立ちが繰り返しやってきます。
​​ で、何とはなしに手に取ったのがこの本です。西谷修「私たちはどんな世界にいきているのか」(講談社現代新書)です。東京外大で教えていた、現代フランス思想とかの哲学者で、まあ、「戦争論」の人ですね。​​
 前書きにこんな文章がありました。
 インターネット、とくにSNSによって、誰もがそんなフィルターなしに発信できるようになった。そのプラットホームを提供する業者もいます。
 それは情報発信のデモクラタイゼーション(民主化)であって、良い面もあります。ただし、情報がすごく多くなります。そのため、いわゆる折り紙付きの情報とそうでないものが無差別に溢れます。多くの人が多くの情報に接するようになると、論理的な手続きを経るとか信頼度を気にすとかるよりも、「あっ、これいいじゃん」「そうなのか」と、自分の好みや気分に合うものに対してすぐに反応してしまう。
 だから、ウソだろうがデマだろうが、うまく反応を誘ったものが流通するようになる。その反応が情報発信者を励ますだけでなく、多くの場合、情報発信にコマーシャルがついていたり、スポンサーがついたりして利益にも結び付く。
 正確さとか信頼性だとかは情報流通のなかで第一義的な価値ではなくなり、好みや気分に合ったものがネットのなかでどんどん反復・増殖されていくことになるわけです
感情的反応ということがよく言われますが、要するに論理的とか、妥当な情報を見分ける慎重な判断は、このような情報流通の実勢の中ではあまり意味を持たなくなります。
 意味内容やそれに対する検証、あるいは信頼度といったことではなくて反服の強度の強いものが流通力を持ち、そのこと自体が情報の価値となってゆきます。その価値は抽象的なだけでなく商品価値でもあります。
 はい、問題意識の方向性は、ほぼ、ズバリですね。で、目次はこうです。
 目次
第1章 今の世界に至る道 19世紀~1970年(分断した社会;ヨーロッパと大戦;人権や平等に疲れて)
第2章 アメリカの大転換―90年代末~対テロ政策へ(その成り立ちと「自由」;格差と不満;もうアメリカを見習うな)
第3章 日本は朝鮮半島をどう見ているか(韓国政府に干渉する日本;拉致問題の経緯;なぜ北朝鮮は核を持つのか?)
第4章 日本の明治一五〇年(形成と変容の概説;明治時代とは何だったか;逆のドライブと天皇制;昭和の敗戦がもたらしたこと;失われた三〇年としての平成)
第5章 令和の日本と世界のこれから(西洋的世界の変質;ポイント・オブ・ノーリターン;新型コロナ禍とパニック)
​ 西谷修の狙いは日本の近代150年西欧社会の近代200年を重ねて比較することで、世界と日本の「歴史的現在」をあぶり出していくことでした。​
 読み進めながら、ナルホドと頷くことしきりです。面白いところを上げ始めるとキリがありませんが、たとえば、仕事のかかわりで引っ掛かりつづけた「新しい教科書をつくる会」という団体の活動について、ほんの少しですがこんなふうに指摘しているところがあります。
 この記述の前段には、沖縄1995年に起きた、米軍兵士による「少女暴行事件」をめぐる記述がありますが、長くなるので省略します。
 で、それに続いてこうです。
 戦後のアメリカ軍の傘の下で日本が安全保障を確保してきたといった矛盾が沖縄から噴き出してきたのです。だから村山談話(1995年引用者注)あたりから、神道国家派の大攻勢が始まります。
 これは戦略的にうまかったと思いますが、最初から本丸である憲法改正に取り組むとか、旧大日本帝国の復興などを言ったら逆効果です。だからまず教科書を変えるという運動に取り組んだ。「新しい教科書をつくる会」というのができて実際に歴史の教科書をつくり、これを各地に採用させようとします。それまでも、教育がうまくいかないのは日教組のせいだと、あらゆる問題を日教組に押しつけて、学校の中では、政権批判や旧日本の批判を「政治的に偏っている」として抑えてきました。
それは「教育勅語」を復活したいと思っている、そして省庁再編のときも太政官制以来の文部という名を手放さなかった文部科学省の一部にある強い傾向でもあります。そして子供たちに誇りを持たせるためとして、日本をことさらに美化した歴史教育をする。そうすると日本の将来を制することができますから。
 これはその当時、世界的に台頭してきた動きでもあって、先にも述べたように、「歴史修正主義」です。それが日本でも起こります。特に教育を通して、社会問題に触れるようなことを教師が言うと、政治的な発言は学校ではするなと批判され、子供たちが言うと「偏った子供がいる」と、教育委員会で問題になったりする。大っぴらに修正的な歴史を学校で供給して、子供のときから無知・無批判に順応させることが公然と行われるようになります。これは「新しい教科書をつくる会」がやりましたが、それを支えているのは「日本会議」で、全国津々浦々に草の根運動のような形をとって広げられました。(P221~P222)
​​​ 引用部分は、本論についての参照エピソードとして記述されているのですが、潮目19995年にあったという指摘が印象的でした。
 ナルホド、確かにその通りで、ぼく自身が退職した2010年代には、日ごろは校長に平身低頭する中年の教員が、職員室では、最近殺されましたが、当時の政権にいた権力者のことを「Aさんは・・」などと親しげに口にする珍妙な現象が見かけられるようになったり、読書三昧とか自称するベテラン教員がやたらと「美しい国」とか「縄文の独自性」とかを口にし始める怪奇現象に遭遇したりして呆れる経験をしましたが、ようやく納得ですね。​​

​​​​​​ 話し言葉で記述されていることもあって、読みやすいのか読みにくいのか、何とも言えませんが、論旨は展開はオーソドックスです。​「あとがき」​ジョルジュ・バタイユ、カール・ポランニー、ピエール・ルジャルドルの名前が挙げられているのにも好感を持ちました。ああ、バタイユ、ポランニーは一時流行りましたが、ルジャルドルについては佐々木中「定本 夜戦と永遠」(河出文庫)で論じています。そちらをあたってみてください。
 納得で読み終えたからといって、気が晴れるわけではありません。マア、そういう時代なのでしょうね。​​​​​​


​​​​​​​​

PVアクセスランキング にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ


にほんブログ村 本ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​

​​​​​​​​​​​​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023.02.16 01:06:40
コメント(0) | コメントを書く
[読書案内「社会・歴史・哲学・思想」] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X