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カテゴリ:読書案内「社会・歴史・哲学・思想」
西谷修「私たちはどんな世界を生きているか」(講談社現代新書) ここのところ小説を読んでいても映画を観ていても、自分がどういう時代のどういう世界に生きているのか訝しく思うことがしょっちゅうあります。マア、もう、そこそこの年齢なわけですから、世間には背を向けて「知ったことか!」と嘯いていてもいいようなものですが、性分なのでしょうね「なんでそうなるの?」の苛立ちが繰り返しやってきます。
で、何とはなしに手に取ったのがこの本です。西谷修「私たちはどんな世界にいきているのか」(講談社現代新書)です。東京外大で教えていた、現代フランス思想とかの哲学者で、まあ、「戦争論」の人ですね。 前書きにこんな文章がありました。 インターネット、とくにSNSによって、誰もがそんなフィルターなしに発信できるようになった。そのプラットホームを提供する業者もいます。 はい、問題意識の方向性は、ほぼ、ズバリですね。で、目次はこうです。 目次 西谷修の狙いは日本の近代150年と西欧社会の近代200年を重ねて比較することで、世界と日本の「歴史的現在」をあぶり出していくことでした。 読み進めながら、ナルホドと頷くことしきりです。面白いところを上げ始めるとキリがありませんが、たとえば、仕事のかかわりで引っ掛かりつづけた「新しい教科書をつくる会」という団体の活動について、ほんの少しですがこんなふうに指摘しているところがあります。 この記述の前段には、沖縄で1995年に起きた、米軍兵士による「少女暴行事件」をめぐる記述がありますが、長くなるので省略します。 で、それに続いてこうです。 戦後のアメリカ軍の傘の下で日本が安全保障を確保してきたといった矛盾が沖縄から噴き出してきたのです。だから村山談話(1995年引用者注)あたりから、神道国家派の大攻勢が始まります。 引用部分は、本論についての参照エピソードとして記述されているのですが、潮目が19995年にあったという指摘が印象的でした。 ナルホド、確かにその通りで、ぼく自身が退職した2010年代には、日ごろは校長に平身低頭する中年の教員が、職員室では、最近殺されましたが、当時の政権にいた権力者のことを「Aさんは・・」などと親しげに口にする珍妙な現象が見かけられるようになったり、読書三昧とか自称するベテラン教員がやたらと「美しい国」とか「縄文の独自性」とかを口にし始める怪奇現象に遭遇したりして呆れる経験をしましたが、ようやく納得ですね。 話し言葉で記述されていることもあって、読みやすいのか読みにくいのか、何とも言えませんが、論旨は展開はオーソドックスです。「あとがき」にジョルジュ・バタイユ、カール・ポランニー、ピエール・ルジャルドルの名前が挙げられているのにも好感を持ちました。ああ、バタイユ、ポランニーは一時流行りましたが、ルジャルドルについては佐々木中が「定本 夜戦と永遠」(河出文庫)で論じています。そちらをあたってみてください。 納得で読み終えたからといって、気が晴れるわけではありません。マア、そういう時代なのでしょうね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.02.16 01:06:40
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