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カテゴリ:読書案内「社会・歴史・哲学・思想」
木田元「哲学散歩」(文藝春秋・文春文庫)
2021年くらいだったでしょうか、『精神の哲学・肉体の哲学 形而上学的思考から自然的思考へ』(講談社)という本で計見一雄という精神科のお医者さんとの対談集を読んで以来、細々と読み続けているのが哲学者の木田元です。 興味の核心は「現象学」なのですが、木田元という哲学者の「私事エッセイ」の文章に惹かれてしまって、肝心のハイデガーやメルロ・ポンティには一向に進まないまま、時ばかりがたちますね。最近読み終えたのが「哲学散歩」です。文春文庫になっているようですが、図書館の単行本で読みました。 講談社のホームページにこんな紹介が載っています。 2014年8月に亡くなられた哲学者・木田元さんの、遺作となったエッセイ集です。「文學界」で4年にわたって隔月で連載され、ご体調のすぐれない中、最後まで原稿に手を入れられた本作は、プラトンから始まり、ハイデガーまで、氏の半世紀以上にわたる思索の軌跡を、やさしく振り返るものとなっています。まさに、哲学という険しい山の麓を、木田先生に導かれながら散策するような、最後の思索の旅であり、入門書となっています。 そうなのです。この本は85歳で亡くなった木田元が最後に残したエッセイ集なのです。せっかくですからちょっと目次をご覧ください。 第一回 エジプトを旅するプラトン 話題になっている哲学者の名前は、なかなかなラインアップです。たとえば、あのデカルトが女性によくもてたなんて話もあります。それぞれ素人が読むことができるように、楽しく書かれています。そうはいっても、具体的にはどんな風なのかとお考えになる方もいらっしゃるでしょうね。そこで、いかにも木田元という文章が第十二回 私のカント体験記にありますから引用します。 大学に入って哲学書を読む本格的な訓練を受けようと思い立ったのは、ハイデガーの「存在と時間」を読みたい一心からだった。第二次世界大戦敗戦の五年後、一九五〇年のことである。ひとより二年くらいは遅れ、もう二十一歳になっていた。 いかがでしょうか、これが木田元ですね。どなただったかが、おっしゃっていたと思いますが、この始まりの話、ほとんど使いまわしのようにいろんな著書に出てきます。 その文章が、最後のエッセイ集であるこの本に出てきて「おおー、出てきた。出てきた。」と喜んでしまうのですが、何がうれしいといって、たとえばこの文章は「私のカント体験記」と題されている通り、カントとの出会いの話が、単行本にして8ページほどの分量で語られていて、引用したのは、最初の3ページほどの前振り、まあ、枕なのですが、カントのカの字も出てきません。もちろん、後半は実にまじめなカント体験の回想なのですが、木田元にとって出会いの経緯なしにカント哲学はありえないということですね。で、それは彼の生涯にわたる膨大な仕事すべてが、ハイデガーに対する希求という青春の体験なしにはあり得なかったという自己認識の大切さの表明でもあるのですね。そこから始まった地点に何度も何度も立ちなおす、老哲学者の立ち姿いつもあるのですが、それがぼくにはうれしいのですね。 40代、50代の頃には、読みやすい、エッセイ風の文章でしか出会うことのなかった木田元ですが、60を過ぎて気付いた、その立ち姿に誘われてでしょうか、ここのところ今まで敬して遠ざけていた訳業や論考にさ迷いこんでいます。横着な素人に即効性の眠り薬なのですが、さて、いつまで続くことやらという今日この頃です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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