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カテゴリ:映画 香港・中国・台湾の監督
リー・ルイジュン「小さき麦の花」シネ・リーブル神戸 どうも、土間という感じの室内のようですが、土壁に四角い穴が開いていて、そこから30秒間隔くらいで土(?)が放り出されてきます。映画を観終えた後も、このシーンが浮かんできます。そんなシーンで映画が始まりました。
リー・ルイジュン監督の「小さき麦の花」です。 原題は「隠入塵煙」で、英語の題が「Return to Dust」ですから、「土埃の中に消えていく」というニュアンスでしょうね。邦題の「小さき麦の花」は寡黙この上ない貧しい夫婦である有鉄ヨウティエ(ウー・レンリン)と貴英クイイン(ハイ・チン)の二人の間で、唯一、情愛の表現として映し出されるシーンに由来しているようです。 もう、40代なのではないかと見える、まあ、実に貧相で時代についていけない男である有鉄(ヨウティエ)と「体は悪いし、子供も産めない」貴英(クイイン)という女性の結婚話が物語の発端でした。 舞台は甘粛省の農村のようですから、中国の西の果て、もうそのあたりから砂漠が始まっている農村でのお話です。 それぞれの家の厄介者が片付くという周囲の思惑で二人は一緒になります。二人の結婚をからかうものはいますが、きちんと祝福するものは誰もいません。 男は女を連れて、 「これが墓なのか!?」と,あらためてスクリーンを見直してしまうような、砂漠の真ん中に少し大きめの石が置かれている家族の墓に結婚を報告し、紙のお金(纸钱 zhǐqián)を燃やして祈ります。二人は、離農の結果でしょうか、点在するあばら家のような空き家に暮らし始めます。ロバと男と女の話でした。ちなみに、上に書いた最初のシーンは男がロバの小屋(部屋?)の敷き藁を掃除しているシーンでした。 で、二人の生活なのですが、所謂、初夜の夜、女が「オネショ」をして呆然としてるシーンから始まりました。男は知らんふりで起き上がり、小屋の外に出て、帰ってきて、また向こうを向いて眠ったようです。 「なんなんだ!?」 やがて、畑を耕し、借りてきた麦の種を撒き、これまた借りてきた卵を孵化させ、包子を蒸し、という二人の暮らしが映し出されていきます。美しく貧しい生活です。 農村振興政策とかで、二人は住んでいる空き家を追い出されます。空き家の所有者が、空き家を処分すれば金が出るらしいのです。町に住んでいた空き家の持ち主がやって来て、二人を追い立てます。で、住んでいた家を失うことになった男は土レンガ作りはじめます。泥土を練って、型に入れて地面に並べ干すだけのレンガです。二人が暮らす家を作るつもりのようです。嵐の夜、二人して干してあったレンガを身を挺して守ります。 やがて、新居は出来上がります。一頭のロバと数羽の鶏と数匹の豚が財産です。畑には、穂をつけた麦、トウモロコシ、そして日々の野菜が育っています。軒下からはツバメが巣立ち、雨樋がわりの空きビンが美しい音を響かせます。裸電球の電灯と懐中電灯以外、電気製品はありません。BMWを乗りまわす若い奴がいて、スマホもテレビもある現代の話です。 暮らしが生活の姿をし始めたある日、男が女に言います。 「トウモロコシが売れたら、町の病院で診てもらおう。」 女の、恥ずかしそうな笑顔が二人の生活のクライマックスでした。。 映画はここでは終わりませんでした。終わっていれば、清く、貧しく、美しい、いつかの時代にあったかもしれない「愛」が描かれていた映画として記憶に残ったと思います。 ここから映し出されたラストシーンまでの30分間ほどの映像の中に、監督リー・ルイジュン李睿珺の現実認識が凝縮されていました。 ネタバレになりますが書いておこうと思います。 「我々はこんなに貧しくない」 と抗議したからという理由だそうですが、現代中国に限らず、現代の資本主義が徹底して破壊し、隠蔽している本来の豊かさを映し出したこの映画を権力者たちが禁じるのは、ある意味で当然だと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.07.31 22:30:56
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