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カテゴリ:読書案内「近・現代詩歌」
長谷川櫂「俳句と人間」(岩波新書) とりわけ、俳句に興味があるというわけではありません。いつも行く図書館の新刊の棚にありました。今回の案内は長谷川櫂「俳句と人間」(岩波新書)です。 長谷川櫂という名は知っていました。エッセイとか、ひょっとしたら句集とかも読んだ気がします。大岡信とか丸谷才一と歌仙とかやっていらっしゃった本もあって、才気あふれる若手の俳人だと思っていたら、同い年でした。 岩波書店の「図書」というPR誌に連載されていたエッセイの様なのですが、開巻早々、「はじめに」の書き始めが、こんな感じです。 いったん人間に生まれてしまったからには必ず死ななければならない。これがいつの時代も変わらない人間の定めである。しかし若いうちは命の歓びに目がくらんで目の前の鉄則が見えない。うららかな春の日が永遠に続くと思い込んでいる。 笑い事ではないのですが、笑ってしまいました。どこか、喧嘩ごしですね。 で、第1章が「癌になって考えたこと」で、中には、こんな文章が綴られています。 この年の夏は記録的な猛暑だった。梅雨明けとともに炎天が続き、街に出るとたちまち炎のような熱風に包まれる。 ガーン・・・、だったのでしょうね。先に引用した「はじめに」の冒頭の雰囲気が、まあ、ボクがそう思うだけなのかもしれませんが「喧嘩ごし」だった理由がわかります。 で、目次を引用するとこうなっています。 目次 突然、向こうからやってきた「死」をめぐる考察というわけですね。というわけで、第1章は、まあ、ご本人の発病というか、病気発見のいきさつがあれこれ書き綴られているのですが、そこで思い浮かべられたのが正岡子規でした。 さもありなんです。ちなみに、第2章で話題になるのは「挫折した高等遊民」という題で予想がつくと思いますが漱石です。というわけで、近代以降の俳句の歴史をたどるのかと思いきや、違いました。 もっと向うにいると思っていた「死」とリアルに出会ってしまった俳人長谷川櫂の頭や心に思い浮かんでくるあれやこれやが、「待ったなし」のテンポで書き綴られているというのがボクの印象でした。 日々の生活エッセイと考えれば、ある意味、本道ですね。その、話題の飛び方というか、選び方というかが、さすが俳人長谷川櫂!というところです。たとえば、2010年代後半の現実社会に対する、歯に衣着せぬ、まっすぐなご発言には、「なるほど、そういうふうにお腹立ちなのですね。」というか、「俳句の本なのか辛口時評なのかわかりませんね。」というか、「言え、言え、もっと言え!」というか、なかなか胸のすくところもありますが、興味深く読んだのは、矢張り「俳句」をめぐる「ことば」であり「文章」なのでした。 で、「案内」としてまとめていえばと考えると、結局、俳句そのものが残ります。巻頭から最終章まで、記憶に残った俳句、まあ、中には短歌もありますが、それらを一人につき一つづつ抜き出して振り返って案内してみようと思います。 しんかんとわが身に一つ蟻地獄 櫂 自らの病を知った長谷川櫂です。で、彼の心に浮かぶのはのは正岡子規でした。 病床の我に露ちる思いあり 子規 子規とくれば漱石です。 冷やかな脉(みゃく)を護りぬ夜明け方 漱石 で、二人を見つめながら、思い浮かんでくるのは明治という社会の行く末で、そこに見えてくるのは沖縄です。死と向き合っている長谷川櫂が沖縄に目をやること自体に、ハッとさせられました。 捕虜になるよりも死ねとぞ教えたるわれは生きゐて児らは死にたり 桃原邑子「沖縄」 戦後の社会を切なさとともに生き延びてきた人がいることから目を背けていないか。そんな自問が病との出会いと重なります。 爽やかに主治医一言切りませう 山田洋 目を背けない医師は冷静ですが、診察室に響く声の音に、耳を澄ませ、息を詰まらせて座ってる人の孤独は他人ごとではありません。 手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が 河野裕子 何とか息を吐こうをするのはあがきでしょうか。で、俳人が思い浮かべたのは死を覚悟した芭蕉の境地でした。 秋深き隣りは何をする人ぞ 芭蕉 ベッドに横になり、目をつむって周囲を伺えば、蛍に化身してさまよい出て行った魂が帰ってきます。 蛍来よ吾のこころのまんなかに 長井亜紀「夏へ」 蛍の淡い光の中にうかんでくるのは誰もいなくなった福島の雪の中で死んでいった生き物たちの姿です。 牛の骨雪より白し雪の中 永瀬十悟「三日月湖」 海に消えた魂たちに声を届けたい。 ひとりまたひとり加はる卒業歌 照井翠「龍宮」 思い浮かぶのは、遠き日の友人の笑顔と諧謔です。 生きたしと一瞬おもふ春燈下 玩亭・丸谷才一 遠き日々、そして今日の日没、あの蕪村が立っていた場所。 遅き日のつもりて遠きむかし哉 蕪村しかし、今日、長谷川櫂が立ち尽くして仰ぐ空は青いのでした。 大空はきのふの虹を記憶せず 櫂 何とか書き続けようと自らを鼓舞するかのような文章に、こんな世の中で生きていることのいら立ちや鬱陶しさが伝染してくるようなイやな感じにとらわれながらも、「それでどうするの?」と問いかけたくなるような近しさをも感じながら読み終えました。同じ年に生まれた人だという、本来の意味の同情を呼び起こされたのでしょうか。 本書に引用されていた桃原邑子歌集「沖縄」、照井翠句集「龍宮」という歌集と句集は新しい発見でした。お二人のお名前と、それぞれの書名は記憶にあったのですが、今回、きちんと読み直すことを古い友人に促されたような気分で本書を読み終えました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.12.08 00:07:30
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