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100days100bookcovers no91 91日目
茅辺かのう「アイヌの世界に生きる」(ちくま文庫) 前回、YAMAMOTOさんからのご紹介が檀ふみの『父の縁側、私の書斎』でしたので、当初、檀一雄つながりで、若い頃によく読んだ坂口安吾にしようかと考えたのですが、ふと、全然関係ない方向へ行ってみようかな、と思い立ちました。 9月に交わした句友との会話に端を発して『ゴールデンカムイ』にはまり、以来、アイヌへの興味が強まっているのですが、先日、散歩の途中にふらっと入った書店で、たまたま見つけた本がありました。むずかしい研究書や資料の類いはもう読む根気がなくなっているのですが、この本は、日本人として生まれながらアイヌのコタンで育った女性への聞き取りで構成されていて、とても面白く読めたので、今回はこれを紹介したいと思います。 『父の縁側、私の書斎』との連関ワードを探すならば「家族」でしょうか。でも、本書に描かれているのは、血縁ではない「家族」のありようです。 『アイヌの世界に生きる』(茅辺かのう著、ちくま文庫)。 本書は、アイヌの世界で生きてきた「トキさん」を茅辺かのうが訪ね、1973年におこなった聞き取りをまとめたものです。数奇な運命のなかで誠実に生きてきたトキさんの人生は波乱に満ちたものでしたが、そのことについて書く前に、まず、著者の茅辺かのうに少し触れたいと思います。私はまったく知らない人だったのですが、彼女の人生もまた、波乱に富んだものでした。 1924年に京都に生まれた茅辺かのうは、東京女子大学を経て京都大学文学部に入学しますが、1年で中退してしまいます。すぐに上京し、編集者をしながら労働運動に携わるのですが、1962年、今度は東京を引き払って北海道へ渡り、網走の水産加工工場で働き始めます。東京での労働運動から突然北海道の労働者に転身したいきさつは、本書の中でこのように書かれています。 「……このまま惰性に流されて生きたくないと思い始めた私は、今の生活を変え、生産の現場で働いてみようと決心した。 1964年に帯広から阿寒湖を訪れたときに、アイヌの観光土産品店を手伝ったことからアイヌ民族への思いが深まり、1965年には本格的に移住してアイヌコタンの近くで生活するようになります。そうした生活の中で、「アイヌの言葉や生活を伝えておきたい」という思いを抱いていたトキさんと知り合い、本書が生まれました。茅辺かのうは1973年に京都へ戻りますが、その後「思想の科学研究会」などに参加し、『階級を選びなおす』などの著書を残して、2007年に亡くなっています。 さて、いよいよトキさんです。トキさんは1906年に福島県の農村で生まれて間もなく、母親に抱かれて北海道へ渡りました。母の夫は先に入植して準備を整えていたのですが、じつはトキさんは、母の夫が北海道へ渡ったあと、母と近所の神主の間にできた不義の子でした。母の夫である義理の父は、それでもいいから一緒に来るようにとふたりを呼び寄せます。現代では考えられない大らかさですが、ひとりでも多く女手が欲しいという生活上の必要があったのかもしれません。が、トキさん以外にも3人の異父兄がおり、貧しく、母親の目はとうていトキさんに届きませんでした。トキさんは子守りを嫌がった異父兄のひとりに川へ投げ込まれますが、手前の藪に引っかかり、大怪我を負いながらなんとか一命を取り留めます。 その噂を聞きつけたひとりのアイヌ女性が、トキさんを引き取りたいとやってきました。やがて、ネウサルモンというこの女性がトキさんの養母となり、アイヌ社会の中で育てます。養母はトキさんの利発さに早くから気づき、トキさんにアイヌの生活や伝統、言葉、儀式などを教えました。 その頃、政府はアイヌ民族に対する同化政策を進めていて、アイヌ人たちは住み慣れたコタンを離れ、土地を与えられて農業を始めていました。が、もともと自然物を採取して生活していたアイヌには土地を私有する意識が薄く、養母も農業になじめなかったので、長ずるにつれ、トキさんが畑仕事に精を出すようになります。小学校にも通うようになりましたが、厳然と差別があった日本人との混合学級になじめず、すぐにやめてしまって、文字が読めないまま大人になりました。 トキさんは、成長した彼女を取り戻しにやってきた実母や親戚たちから逃れるように、17歳でアイヌの青年と結婚します。結婚後は家族も増え、充実した人生になっていきますが、書くとどんどん長くなりますので、ここから先は本書に直接あたっていただきたいと思います。 茅辺かのうは聞き取りの際にトキさん宅に何週間か滞在し、共に生活をしていますが、聞き取りの合間に記されている毎日の生活のルーティンもとても興味深く、トキさんの地道な人となりをよく伝えています。いまは住宅も暖房も進化しているでしょうが、50年前の冬の北海道の寒さ、厳しさは並大抵ではなく、それが手に取るように伝わってきます。前夜、寝る前にやっておかなくてはならないこと、そうしないと翌朝さまざまなものが凍ってしまい、午前中は仕事にならないこと、食料の保存法のこと、食事のこと。 生活は小さな煩雑な作業の積み重ねであり、手を抜いたら些末なところから崩れてきて、身体にも影響を及ぼす。トキさんの暮らしぶりを読んでいると、そんな当たり前を忘れていることに気づきます。けれどもまたトキさんは、晩年になってからテレビ番組で文字を覚え、読めるようになっていたり、教育がないために何もできなかった自分の人生を省みて、娘たちが独り立ちできるように、きちんと教育を受けさせています。毎日の生活を繰り返しているだけではなく、前を向く力が強い人なのです。 そして何よりトキさんは、自分を育ててくれた血の繋がらない養母を敬愛し、感謝の念を持ち続けました。その気持ちの強さが、アイヌの生活や文化、言葉を何とか後世に伝えたいという行動に繋がっていったのだと思います。トキさんの語り口からは、そのときそのときの状況を受け入れながらも流されず、前を向き続けてきた人間としての力が伝わってきて、読者を明るい気持ちにしてくれるのです。 本書では「アイヌ語の世界」という項目を立てて、アイヌ語にも言及しています。生活と強く結びついているアイヌ語の成り立ちに着目していて、「アイヌ語辞典」という役割は比較的希薄なのですが、言葉を通してアイヌの文化に触れることができます。 例えば、「神」を表す「カムイ」という言葉は動物にも使われるのですが、名前に「カムイ」とつく動物は当然信仰や儀式と深い関係があり、それがつくかつかないかで、その動物とアイヌの結びつきの種類が分かります。自然の色を抽象的に表現したり、顔料をつくったりする必要がなかったことから、色彩を表す言葉が極端に少ないことや、自然と深く関わり採集する生活だったので、気候や自然の呼び名も、五感と結びついたものが多いことなどもうかがえます。 トキさんが聞き取りのあとしばらくして農業を辞め、商売を始めるらしい、と最後に書かれた本文を読み終えたあと、本田優子氏の「解説」で、読者は本文では語られなかったことを知らされます。「トキさん」というのが仮名で、本名は澤井トメノさんだということ、そしてトメノさんは、1980年代以降にアイヌ語辞典や教本を監修し、アイヌ民話の書籍を著し、平成9年にアイヌ文化賞を受賞している人物だということを。 おそらくトキさんは、茅辺かのうの聞き書きを受けたあと、アイヌ文化の伝承に強い使命を見いだし、それが人生の最晩年の短い間に結実したのではないでしょうか。『アイヌの世界に生きる』に描写されたトキさんの好奇心、向上心、頑固さと柔軟性を併せ持つ人となりを思うと、それが自然にうなづけるのです。そして本書に描かれたトキさんの人物像には、茅辺かのうの人生観もまた、大きく反映されていることを感じます。本書は、ふたりの女性の生きざまの結晶のような書物でもあるのです。 それではKOBAYASIさん、お願い致します。2022・12・17・K・SODEOKA 追記2024・04・05 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)) (61日目~70日目) (71日目~80日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.04.06 23:13:01
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