ヤン・ヨンヒ「愛しきソナ」元町映画館 先日来、元町映画館がやっている「映画監督ヤンヨンヒと家族の肖像」ですが、今日は2009年に発表された「愛しきソナ」を見ました。
「ディア・ピョンヤン」(2005)、「愛しきソナ」(2009)、「スープとイデオロギー」(2021)という、ヤン・ヨンヒの三つの仕事の、時代的には真ん中の作品です。
先日見た「ディア・ピョンヤン」が「父の肖像」、昨年の9月に見た「スープとイデオロギー」が「母の肖像」、そして、本作「愛しのソナ」は、ピョンヤンで暮らす「三人の兄とその家族の肖像」なのだろうと予想して見ました。
たしかに、映画の作り手であるヤン・ヨンヒにとっては次兄の娘、ですから、姪に当たる「ソナ」という少女の、3歳くらいから、大学入学ですから18歳くらいでしょうか、その姿を追ったフィルムを中心に構成されていました。しかし、実質的には、カメラを持って、ピョンヤンの兄弟たちや、甥、姪の姿を撮っている監督自身の肖像という印象を強く持ちました。
1990年代から2009年という時間の経過の中で、「ディア・ピョンヤン」で撮った父の死があり、ヤン・ヨンヒ監督自身が、発表した作品の評価によって、北朝鮮政府から入国を拒否されるという政治的弾圧の対象になったことが明らかにされます。
彼女は、作品の中で何気なく語るのですが、実は、彼女が映画で表現しようとしていた、在日コリアンの「家族」を縛り続けてきた「政治性」・「歴史性」が如実に正体をあらわした事実だと、ボクは思いました。そういう意味では、かなりスリリングな映画だったと思います。
映画の終盤、大阪の祖母が送ってくれた日本製のランドセルをしょって、ピョンヤンの小学校に通う「ソナ」の姿を、学校の校門まで撮り続けるシーンがありましたが、「ソナ」の後ろ姿に、かつて、北朝鮮に「帰国」していった兄たちの姿と、残された小学生だっ監督自身の姿が重ねられていることを強く印象付けられるシーンでした。
政治的な事態が明らかになってから編集されたにちがいないナレーションで、監督であるヤン・ヨンヒ自身が語る
「別の世界に去っていくソナ」
という言葉に、強く胸打たれました。見る前には、なにしろ、幼い少女が映り続けて、見ていてつらいだけなのではないかと不安でしたが見てよかったと思いました。
監督 ヤン・ヨンヒ
脚本 ヤン・ヨンヒ
エグゼクティブプロデューサー チェ・ヒョンムク
撮影 ヤン・ヨンヒ
編集 ジャン・ジン
音楽 Marco
2009年・82分・G・韓国・日本合作
2023・08・03・no102・元町映画館no193