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カテゴリ:読書案内「現代の作家」
宇佐見りん「くるまの娘」(河出書房新社) 「かか」(河出文庫)で2019年の文藝賞、2020年の三島由紀夫賞、「推し燃ゆ」(河出文庫)で2020年後期の芥川賞の宇佐見りんの最新作のようです。まあ、贔屓の作家ということもありますが、快調でした。
書き出しはこんな感じです。 かんこ、と呼ぶ声がする。台所から居間へ出てきた母が二階に向かってさけぶ声が聞こえてくる。かんこ、おひる、かんこ、お夕飯。しないはずの声だった。夢と現実のあいだを縫うように聞こえてきた。むかしは「にい。かんこ。ぽん」だったと思う。にい、かんこ、ぽん、ご飯。兄が家を出て「にい、かんこ、ぽん」は「かんこ、ぽん」になった。今年の春、弟のぽんが祖父母の家に住みはじめて「かんこ」になった。母が階下から呼ぶ。いつまでも聞こえてくる。にい、かんこ、ぽん。にい、かんこ、ぽん。かんこ、ぽん、かんこ、ぽん。かんこ。かんこ。・・・・。(P3) 階下から聞こえてくる母の声が響きます。外側から聞こえてくる音としての声と、それに連動して、頭の中に響く、自分だけに聞こえている音としての声が、ことばとしての意味の姿をまとわせて立ち上がらせながら、語り手である、高校生の「かんこ」の内面の物語が始まります。 小説のページに書きしるされているのは文字ですが、読み手の中には音が広がっていく、そんな印象を作り出す書き出しです。 これが宇佐見りんだ! ボクは、チョット、ドキドキします。 父と母、今は家を出ている兄と弟、そして、かんこの家族の物語が、父方の祖母の葬儀に、行きは父、母、かんこの3人、帰りは弟のぽんちゃんを加えた4人の自動車旅行として語られます。「音」と「息」が充満して、読んでいるだけでも窒息しそうな狭い車内で、家族4人、死ぬか生きるかの七転八倒騒ぎが展開される中で、声にならない悲鳴のような叫びをあげながら、こんな結論にたどり着くのでした。 かんこはこの車に乗っていたかった。この車に乗って、どこまでも駆け抜けていきたかった。(P124) 「くるまの娘」という、この作品のけったいな題名の所以ですが、ようやくのことで帰り着いたにかんこは「くるま」から降りることができなくなって「くるまの娘」になってしまうところが、宇佐見りんですね(笑)。 あの時、日がのぼるのが苦しかった。日が沈むのも苦しかった。苦しみをなにかのせいにしないまま生きていくことすらできなかった。人が与え、与えられる苦しみをたどっていくと、どうしようもなかったことばかりだと気づく瞬間がある。すべての暴力は人からわきおこるものではなかった。天からの日が地に注ぎあらゆるものの源となるように、天から降ってきた暴力は血をめぐり受け継がれるのだ。苦しみは天から降る光のせいだった。あの旅から帰ってきて、自分が車から降りることができなくなってしまったと知ったとき、かんこはそう思うことにした。そしてかんこは、車に住んだ。毎朝母の運転で学校へ行った。(P140) はまってしまうと、一気に暴君化する父、今日の記憶を次々と失っていく母、通っていた学校に耐えきれなくて祖父母と暮らす弟、父親の世界から逃げ出した兄、そして、くるまから出られなくなったかんこ。 まあ、実際、どんな家族の物語なのかは、お読みいただくほかないのですが、かんこが、自分に浸るのではなくて明日を生きようとしていることだけは確かで、後味は悪くないのです。 宇佐見りん、快調に走っていますヨ(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.10.22 21:21:15
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