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カテゴリ:映画「元町映画館」でお昼寝
セルゲイ・ロズニツァ「キエフ裁判 戦争と正義Ⅱ」元町映画館 歴史資料のフィルムを編集し、ソビエト・ロシアやウクライナの社会の歴史的事件の「実相」を描くドキュメンタリーを、立て続けに発表しているセルゲイ・ロズニツァという監督の新作「破壊の自然史」と「キエフ裁判」の2作が「戦争と正義Ⅰ・Ⅱ」と銘打ってセットで上映されています。もちろん、元町映画館です。
三連休の中日の11月4日の土曜日が初日でした。2週間の上映期間があるようですし、連休中で、人も多そうですから、まあ、昼過ぎ上映になる来・来週を待つのがいつものシマクマ君ですが、ロズニツァの新作というだけで、なんだか気が焦って、朝一番、10時開映4日に出かけました。先週、1週限定上映の「竜二」を見損じたこともあってでしょうね、とても、月曜まで待ちきれない気分でした。 1本目が「戦争と正義Ⅱ」、「キエフ裁判」でした。1946年、現在はウクライナ共和国の町ですが、当時はソビエト連邦の町だったキエフで行われたナチスの戦争犯罪者たちの裁判のドキュメンタリーでした。 ロズニツァのドキュメンタリーには、所謂ナレーションがありません。場所とか時間を指示する字幕も、ほぼ、ありません。現在の世相の真反対の、実にわかりにくい映像です。 「あんたが見てどう思うかやで!」 まあ、そういう啖呵を切られているえいがですから、見る側も、それ相当の覚悟がいりますが、それが たまらなくいい! という感じ方もある訳です。 映像はモノクロで、所謂、人民裁判の光景が延々と続きます。裁判ですから罪状認否に始まり、証人喚問、被告の弁明まで延々とありますが、一方で、吊し上げ的糾弾会でもあることに対して、おそらくロズニツァは意識的です。 「粛清裁判」という、以前見た、ロズニツァの作品でソビエトロシアの裁判のドキュメンタリーと、ほぼ、同型の構成です。 映画は、キエフを占領していたナチスの軍人、まだ少年兵といっていい若い兵士もいますが、彼らが占領地の住民に対してやった所業が、一般に知られている絶滅収容所でのホロコーストにとどまらない、まあ、耳と目を疑うような「悪」であり、それに対して、告発する民衆の、素朴な「善」が対比されているかのように、裁判が物語られているとボクには見えましたが、とどのつまりは10数人の絞首刑が見世物化され、その、ありさまを、おそらく千人を超える群衆が喝采しながら見物しているというシーンで幕を閉じます。 裁判の始まりから、絞首刑の終わりまで記録として残されていたらしい映像が、みごとに編集され、実に、ロズニツァらしいドキュメンタリー映画になっていました。セリフや民衆のざわめきを音として加えることで、歴史的実況中継として、ドラマ化されているところが、この監督の手法です。実に、うまいものです。 しかし、見終えて、ほとほと、疲れました。個人的は思い込みかもしれませんが、この作品がボクの胸中に呼び起こしたのは、直接的には、ロープに吊るされた死体を、断末魔の引きつり姿まで丹念に映像化した1946年当時のカメラマンの胸中にある「善」=「正義」、あるいは、実直な「服務」を支えていた「勤勉」に対する疑いでした。 確かにナチスによる想像を絶する所業は「悪」でしょう。しかし、この日、この場所で、彼ら一人一人を、この形で処刑することは、はたして「善」=「正義」でしょうか。 まあ、そういう、問いかけです。 殺すな! そんな言葉も浮かんできました。 奴は「???」だ、「???」は殺せ! 人間の歴史の中で繰り返し使われてきた論理です。日常的な法の中にあっても、まだ、この論理を越えることができない社会にわれわれは生きています。世界に目を向ければ、複数の戦争を、起こったことは仕方がない、それぞれに、それぞれの「正義」があるかのような、中立的客観性を装ったかのニュースが公共の名によって蔓延しています。 殺すな!」ただちに「戦争行為」をやめよ! おそらく、それをいうためにロズニツァはこの映画を作ったと思いました。彼は、ナチは悪だけど、人民裁判は正義だというような楽観主義者ではありません。これは「殺すな!」を貫くための映画でした。まあ。それが、ボクの実感でした。 監督・脚本 セルゲイ・ロズニツァ 編集 セルゲイ・ロズニツァ トマシュ・ボルスキ ダニエリュス・コカナウスキス 2022年・106分・オランダ・ウクライナ合作 原題「The Kiev Trial」 2023・11・04・no135・元町映画館no211 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.11.08 22:03:59
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