鈴木清順「ツィゴイネルワイゼン」元町映画館 「SEIJUN RETURNS in4K」という特集を元町映画館が上映し始めました。鈴木清順生誕100年の記念特集のようです。 これは、まあ、見ないわけにはいかない!
そういう気分で、初日、駆けつけたのが「ツィゴイネルワイゼン」です。1980年の封切ですが、その当時、とても評判になった作品です。定期購読していたキネマ旬報の、その年のランキングは日本映画ベスト1で、ベルリン映画祭でも評判がよかったらしく、当時、ボクは、まだ、大学生だったのですが、かなりな映画狂いで、周りに大勢いた映画好きのお友達たちが、口をそろえて絶賛!する中、まあ、ボクも尻馬に乗ってあれこれ言っていたような記憶ががありますが、何を言っていたのか、まるで、覚えていません(笑)。その作品を、久しぶりに見ました。 見終えて、仰天、嘆息でした。どうしたことでしょう?
あの頃、あんなに面白がっていたはずなのに、なにをおもしろがって騒いでいたのか全く見当がつかないのでした。
一応、お断りしますが、この作品が駄作だとかいうことをいいたいのではありません。ただ、1980年に20代の終わりにさしかかっていた映画青年があっけにとられた衝撃の正体が一体何だったのかが、40年後に、同じ映画を見ている69歳の老人に全くイメージできないのです。
原田芳雄、藤田敏八、大谷直子、大楠道代、麿赤児、樹木希林、みんな覚えています。夢が夢を呼び出し、幻想が幻想と重なり、正体不明の不安が映画を覆っていく様を、ボンヤリとした既視感をかみしめるように、ため息をつきながら見入っているのですが、見ているボクの意識はどんどん醒めていく、そんな感じです。
あの頃、その境界線を越えれば、おそらく、ズブズブ深みに引きずり込まれるような場所に沈み込むことができた、その境界線をこっち側からじっと見ている老人が、今、ここにボンヤリへたり込んでいる。そんな感じでした。40年の歳月が奪って行ったものが、あのころ、そこにあった!はずの空っぽになった場所を覗きこんでいるような体験でした。
まあ、それにしても、大谷直子も大楠道代も美しいハダカでしたよ(笑)。まあ、今の自分の空っぽさに対する詮索はともかくとして、あと二本、試してみようと思います。 監督の鈴木清順、原田芳雄、藤田敏八、みんないなくなってしまったと、やはり、ため息だったのですが、怪人麿赤児と美女のお二人はご存命のようで、ちょっと嬉しくなりました(笑)。
監督 鈴木清順
原作 内田百間
脚本 田中陽造
撮影 永塚一栄
照明 大西美津男
美術 木村威夫 多田佳人
録音岩田広一
編集 神谷信武
音楽 河内紀
記録 内田絢子
スチール 荒木経惟
キャスト
原田芳雄(中砂糺)
大谷直子(芸者小稲・中砂の妻 園)
藤田敏八(青地豊二郎)
大楠道代(周子・青地の妻)
麿赤兒
樹木希林
真喜志きさ子
1980年・144分・日本
2023・11・25・no144・元町映画館no214
追記2024年10月13日
ここ数年、お友達と100days100bookcoversという「本」の紹介ごっこをやっていたのですが、コロナ騒ぎの最中に初めて、フェイスブックで投稿しあうという企画も、いよいよ、大詰め、99日目になって出てきたのが内田百閒でした。
仲間のみなさんは、ほぼ40年ほど前に大学生だった方たちで、旺文社文庫と六興出版がu内田百閒作品集とかで、ラインアップしてずらーッと出版したのがその頃でした。その頃、彼、内田百閒はブームだったのですね。
「ノラや」とかが、最初に中公文庫になったのも、多分、1980年くらいで、「サラサーテの盤」という作品を原作にして鈴木清順がこの映画「ツィゴイネルワイゼン」を撮ったのも1980年ですからね。当時20代の大学生だったボクは、小説にも映画にも夢中になった記憶があります。
1889年生まれの内田百閒が、傑作の誉れ高い「百鬼園随筆」の連載を始めたのが1959年、70歳になったときからなのですが、さて、今年、70歳になった徘徊老人に、この作品を読み直す元気はあるのでしょうか。
!