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カテゴリ:読書案内「近・現代詩歌」
小池昌代(編)「通勤電車でよむ詩集」(NHK生活人新書) 今日の案内は、時々出逢っている女子大生さんたちに小池昌代という詩人の詩を紹介したこともあって、なんとなくネットで見つけて読み始めたアンソロジー詩集、小池昌代編集「通勤電車でよむ詩集」(NHK生活人新書)です。
多くの人と乗り合わせながら、孤独で自由なひとりの人間にもどれるのが通勤電車。 表紙の裏に、そんなうたい文句が書いてあるのを読みながら、朝、夕の電車通勤をしなくなって30年以上の歳月がたったことに気付きました。 ボクにとって通勤電車の思い出は、勤め始めたのころにJRの西明石駅から六甲道駅の間を通っていたころに始まって、神戸の地震があったころ、市営地下鉄の学園都市から上沢駅まで通っていたころまでの十数年間です。 その後、仕事をやめるまでの二十年ほどは原付通勤でしたから、通勤電車の「孤独と自由」の中で、スポーツ新聞やコミック週刊誌を読んだり、仕事とは関係ない読みかけの本を開くという体験は、40代の終わりころに終わっていたのだというのは、なんだか、ちょっとショックでした。そういえば週刊のマンガ雑誌を読まなくなったのも、その頃でしたね(笑)。 表紙にはこんなキャッチコピーも貼られています。 「次の駅までもう1篇。足りないのは、詩情だった。」 ウーン、詩情ねえ(笑)。でも、まあ、ボクの場合、詩集を読んだりしたことはいちどもなかったような気がしますけどね(笑)。 それにしても、電車で運ばれるという経験は、改めて考えると、実に面白い。まあ、週休1日、ある時期から週休2日のお勤めでしたから、1年間に、600回くらいの電車の旅があったわけで、サンデー毎日の徘徊老人には、ちょっと目が眩みそうな記憶ですが、詩ですか?読まなかったなあ。でも、なるほどなあ、という気もしますね。 とはいうものの、出かけることのない老人には、座りこんでボンヤリする某所での読書にうってつけでした。まあ、詩情が必要な場所でもないのですが、所用時間が適当なのでしょうね(笑)。 で、どんな詩が載っているのかということですが、目次を載せてみますね。 目次 これで、全部です。41篇ですね。ボクでも知っていた詩が3割程度、ほかの詩ですが、読んだことのある詩人が6割くらい、だから、詩としては、ほぼ、知らない詩ばかりでしたが、読んで意味不明の作品はありませんでした。ページの終わりに記されている小池さんの一言紹介で、ふーん、そうか、という場合もありましたが、おおむね、誰にでも理解可能な詩篇でした。 ああ、それから、この詩集は池澤夏樹の「いつだって読むのは目の前の1冊なのだ」(作品社)の2009年10月15日の読書日記で紹介されています。 編者のセンスをそのまま反映するいいアンソロジー、通勤電車でよむという仕掛けも気が利いている。まず立ち読みで四元康祐の言語ジャック1新幹線・車内案内という1篇でも読んでみるといい。これはすごいよ。まあ、こんな紹介ですが、四元康祐さんの詩、気になるでしょ。まあ、それはおいおい紹介しますが、今日は小池さん自身の詩を引用してみますね。 記憶 小池昌代 このオーバーとは長い付き合いだった。いよいよだめになって捨てるとき、古い自分を捨てるようにすっきりした。感傷なんか、まるでなかった。冬の朝晩は、これを着て通勤。電車のなかで、よく詩集をよんだ。(P150~P153) やっぱり、電車で、詩を読む人だったんですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.12.05 09:50:13
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