長谷川櫂「四季のうた」(中公新書)龍の玉升さんと呼ぶ虚子のこゑ 飯田龍太
新年あけましておめでとうございます。2024年最初の「読書案内」は長谷川櫂の「四季のうた」(中公新書)です。長谷川櫂が2004年4月から読売新聞紙上に連載した「四季」というコラムを一年分まとめた新書です。
連載開始の4月から、翌年の3月までの一年間、現代詩、翻訳詩、漢詩の一節、短歌、俳句、川柳が毎日ひとつづつ紹介されいて、某所の暇つぶしに重宝します。
昨年の秋の終わりに見つけてはっとしたのが上の句です。2024年が辰年なので、お正月のあいさつにちょうどいいかなと思いついて引用しましたが、実は、哀しい秋の句です。
長谷川櫂のコラムの本文はこうです。 正岡子規は幼名升(のぼる)。少年時代からの友人たちは「のぼさん」と呼んだ。今、子規は臨終の薄れていく意識の中で、自分を呼ぶ弟分高浜虚子の声を聞いている。龍の玉は龍の髯という庭草の青い実。この句の「龍の玉升さん」は、龍の玉を天に昇らせようとも聞こえる。(P134)
後のことでしょう、子規の臨終のシーンを思い浮かべた、大正生まれの俳人飯田龍太の創作ですが、子規が亡くなったのは明治三十五年九月十九日です。
昨年、2024年の11月、作家の伊集院静の訃報が報じられましたが、彼には『ノボさん 小説正岡子規と夏目漱石』(講談社文庫上・下)という、とても心に残る作品がありますが、その中で子規の臨終を月明かりの中で透き通るように響き渡った母八重の声で描いた名シーンがあります。
「さあ、もういっぺん痛いと言うておみ」
透きとおるような声で響き渡った。
八重の目には、それまで客たちが一度として見たことのない涙があふれ、娘の律でさえ母を見ることができなかった。
ちなみに、その場に同席していた高浜虚子の残した句がこちらです。
子規逝くや十七日の月明に 虚子
虚子の句は十七夜の月の明るい夜の別れを読んでいますが、まあ、要するに、「四季のうた」を覗きこんでいた某所で、まず、知らなかった飯田龍太の句に偶然出会い、虚子の声が浮かび、それに促されて母八重の声が浮かび、虚子の句が浮かび、その上、あれ、これ、ワラ、ワラ、と湧いてくる個人的な体験のシーンまでも、思い浮かべさせていただいたというわけです。
まあ、誰もが、そんなふうにいろいろ思うわけではありません。ボクだって、収められている300を超える詩の一節や短歌、俳句を読みながら、ああ、そうですか!で通り過ぎたのがほとんどなわけです。でも、おっと!
という出会いはあるわけで、お試しになっても悪くないと思うのですが、いかがでしょう(笑)。
正月、そうそう、縁起でもない案内でしたが、2024年、辰年の初投稿でした。読んでいただいてる皆様、今年もよろしくお願いいたします(笑)。