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カテゴリ:読書案内「社会・歴史・哲学・思想」
島田裕巳「京都がなぜいちばんなのか」(ちくま新書) ここの所、宗教学の島田裕巳のお寺や神社についての面白楽しいうんちく本にはまり気味で、今回の読書案内は「京都がなぜいちばんなのか」(ちくま新書)ですね。
なぜ京都は、日本で有数の、さらには世界の人々を引きつける観光地になってきたのか。ようするに「京都がなぜいちばんなのか」を突き詰めてみようといういうモチーフで書かれていて、取り上げられている神社仏閣は千本鳥居の「伏見稲荷」、祇園祭の「八坂神社」、舞台で有名な「清水寺」、何故か苔を喜ぶ「苔寺」、小説で有名な「金閣寺」、銀じゃないけど「銀閣寺」、十円玉の「平等院」、で、都の北にそびえる「比叡山延暦寺」と、南の果ての「石清水八幡宮」ですね。 どなたでも、一度はいらっしゃったことがありそうなラインアップですが、実はこのボクは小学生のころに修学旅行で行った「金閣寺」、「銀閣寺」、「清水寺」、十代の終わりの浪人時代に京都に住んでいて通りかかったことのある「八坂神社」以外、50代の半ばまで知らなかったんですね(笑)。 今でも苔寺は場所も知りませんし、比叡山は下から仰ぎ見たことはありますが、延暦寺には行ったことがありません。まあ、そういうわけですが、蘊蓄は好きです。 で、本書はこんなふうに始まります。 いったい伏見稲荷大社には何本の鳥居が建っているのだろうか。 まあ、こういう調子です。伏見稲荷の鳥居の数からその由来。清水の舞台が実は自殺の名所だったという驚きの真実。苔寺の拝観料が高い理由。三島由紀夫が見た二通りの金閣寺。銀はなくても銀閣寺の訳。とまあ、あれこれうんちくネタ山盛りです。 こう書くと、お手軽な名所案内のようですが、例えば伏見稲荷については、上の引用の後、清少納言の「枕草子」が引用されて、平安時代に始まる信仰の起源が探られます。 うらやましきもの で、本書によれば、清少納言の時代には、実は 鳥居はないのです。 ね、それだけで、もう、 エッ、それってどういうこと? でしょ。 もう一つ上げると、金閣寺について2章にわたって語られていますが、誰もが思い浮かべる、まあ、たとえば 雪の庭の池の傍で静かに金色に輝く金閣寺という、まあ、多分、誰でもが思い浮かべることのできるイメージがありますが、そのイメージは、案外、新しいということを考証したうえで、あの三島由紀夫が「焼かねばならない」と主人公に考えさせた 美の象徴の金閣寺というイメージは、焼けた後に再建された金閣寺であって、三島自身も子どものころに見たはずの金閣寺は、実は、かなり地味なお寺だったはずという指摘に続けて、にもかかわらず、読者は「雪の庭の静かに輝く金閣寺」を思い浮かべて納得しているのは これいかに?! と問いかけていらっしゃる論旨には、チョット唸りましたよ。 で、読み終えると、チョット、延暦寺にはどうやったら行けるのかなとか考えてしまったりするわけで、お暇な方にはピッタリだと思うのですが(笑)。 最後に目次を貼っておきますね。 目次それでは、また、覗いてくださいね。ああ、島田裕巳「日本人の神道」(ちくま新書)のリンクを貼っておきます。そちらものぞいてみてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.01.30 00:28:36
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