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カテゴリ:映画「元町映画館」でお昼寝
杉田協士「彼方のうた」元町映画館 2024年、3回目のSCC・シマクマシネマクラブです。見たのは杉田協士監督の「彼方のうた」でした。「春原さんのうた」作品の監督だったっと思いますが、見たような、見ていないような???
M氏の提案の中から、ボクが選んだのですが、なんというか、オッサン二人で見る映画ではなかったですね。 映画全体の印象では、なんとなく気がかりなところがいくつもあるのですが、 「なんでそうしてる?それがどうした!」 というわけのわからなさというか、困惑というか、 「こんな映画オッサン二人で見てどうすんねん!」 でした(笑)。 もちろん、感想戦も盛り上がりません。近所の喫茶店でお茶しながらM氏がこんなことを話し始めました。 「アガサ・クリスティを読んだんですけどね。」 そういいながら取り出したのが「「私」をつくる 近代小説の試み」という 安藤宏という東大の先生の岩波新書でした。 「である、とか、です、ますとか、断定の一人称ですけど、微妙に違いますよね。英語だとひととおりしかないんでしょうけど、推理小説とかの翻訳で~であるといういい方選ばれて、その結果、微妙に読者のこっちは、そこでをだまされるってことってありませんかね?」 目の前のM氏が、さっき見た映画にからんでおっしゃっているのか、最近お読みになったらしいクリスティに騙された遺恨(笑)でおっしゃっているのか、まあ、多分そっちだろうと思って 「フムフム」 していましたが、お別れして歩きながら、さっき見た映画の「私」、まあ、小説でいえば語り手、映画なら監督ですが、が 「である」で語っていたのか「ます、ました」で語っていたのか 気になり始めました。 で、この作品は、いわば通りすがりの第三者が見た光景の羅列として差し出されていて、 「こういう光景を見ました。」 だったのですね。 「ずっと、イヤホンをしていました。」「通りすがりの女性に道を尋ねました。」「男は泣き始めました。」「映画を見ているのを見ました。」「オムレツをつくるのを見ていました。」 シーンの主体は代わりますが描写の文体は「ます」でした。プロット、プロットでの原因と結果はともかくとして、ストーリ全体の「である」を支える因果関係ができるだけ抜け落ちる文体が故意に選ばれている印象だけが残っています。ストーリーをであるで捉えたがるオッサンは微妙に置き去りなんです。気がかりの理由は、多分そのあたりですね。 帰ってきて、チラシを読むと、 「助けを必要としてしている見知らぬ人に手を差し伸べる」 とかなんとか主人公のキャラクター説明があって、チョット啞然としました。映っている人も映している人も、それぞれ、過剰な思い込みの人たちがいて、それをボーっと見ながら、理解できない自分に困惑する気分が、もう一度ワラワラと湧いてきて、腹立たしいような、情けないような 「そういうことは画面で描くのが映画なんじゃないの?」 と呟くオッサンでした。ヤレヤレですね(笑)。 監督・脚本 杉田協士 撮影 飯岡幸子 編集 大川景子 音楽 スカンク/SKANK キャスト 小川あん(春) 中村優子(雪子) 眞島秀和(剛) KayaKaya 2023年・84分・G・日本 2024・02・26・no029・元町映画館no225・SCCno18 追記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.03.01 23:29:22
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