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カテゴリ:映画「ちょっと遠くの映画館」でお昼寝
アリ・アスター「ボーはおそれている」109ハット 一月ほど前のことです。上に貼ったチラシを一目見て同居人のチッチキ夫人が言いました。
「私、これは行くわ。(キッパリ!)」で、劇場公開が始まって二人で出かけました。 109ハットの小さめのホールでしたが二人以外には学生風の若い男性が二人だけでした。見たのはアリ・アスター監督の「ボーはおそれている」でした。 見終えて、二つ向うの席のチッチキ夫人を振り返ると、彼女は、それぞれ席を立って出て行く青年たちを目で追いながら、声をひそめて言いました。 「あの子ら、面白かったんやろか?」見てすぐはかなりお怒りでしたが、家に帰ると質問攻めでした。 「最初、さあ、子供産んだばっかりの女の人が叫んでるこえきこえてくるやん。アンナン、できへんと思うねん。産んですぐやでぇ。」 と、まあ、あれこれ盛り上がったのですが、どうなんでしょうね。文字通り素っ裸で走り回ったホアキン・フェニクスさんに、ご苦労様でしたの拍手!ですね。いやはや、俳優というのも大変ですね(笑)。 ところで、上の会話の中でホサカと呼んでいるのは、作家の保坂和志です。で、引用は「世界を肯定する哲学」という新書の次の箇所です。 「夢は無意識の発露である」というのがフロイト以降の定説となった定義だけれど、夢には忘れられがちなもっとずっと大きな特徴がある。それは「夢の中では何歳になっても与えられた状況を真に受ける」ということだ。(「世界を肯定する哲学」ちくま新書)(P152) それから、ジャック・ラカンについての話は、まったく偶然だったのですが、ここのところ読んでいた竹田青嗣という批評家の「新・哲学入門」という新書の次のような記述を頭に浮かべています。 ラカンは、フロイトの去勢複合の仮説を精神分析理論の核心として受け取り、疎外された自己統合としての人間主体、という独自の像を提示する。その力点を「反―主体の形而上学」と呼ぶことができる。 ゴシック体は、ボクなりです。論の真偽はともかくとしてですが、最近、面白がって読んでいる1冊です。映画にかぎらず、小説、詩歌とか絵画、写真とか、ボク自身が 何を見て、何に反応しているのか? を考え込むことが、最近よくあるのですが、そういうときの参考になります。ラカン、ポンティ以降の人間理解は、よくわからないなりにスリリングです(笑)。 で、最後になりましたが、この「Beau Is Afraid」という作品で、あの年齢まで、ボーが怖れ続けているという考え方が、ある意味でホラーだと思うのでした。アリ・アスター監督が採用しているとボクが考えている人間理解の考え方が、でたらめだとは思いませんが、 なんだか、図式的だよなあ?! という感じなのでした。 監督・原案・脚本 アリ・アスター 撮影 パベウ・ポゴジェルスキ 美術 フィオナ・クロンビー 衣装 アリス・バビッジ 編集 ルシアン・ジョンストン キャスト ホアキン・フェニックス(ボー・ワッセルマン) ネイサン・レイン(ロジャー) エイミー・ライアン(グレース) スティーブン・マッキンリー・ヘンダーソン(セラピスト) ヘイリー・スクワイアーズ(ペネロペ) ドゥニ・メノーシェ(ジーヴス) カイリー・ロジャーズ(トニ) アルメン・ナハペシャン(少年時代のボー) ゾーイ・リスター=ジョーンズ(若き日の母親) パーカー・ポージー(エレーヌ) パティ・ルポーン(モナ・ワッセルマン) 2023年・179分・R15+・アメリカ 原題「Beau Is Afraid」 2024・02・29・no034・109ハットno40 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.03.11 00:48:00
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