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カテゴリ:読書案内「現代の作家」
井戸川射子「この世の喜びよ」(講談社) 井戸川射子という人の「この世の喜びよ」(講談社)という作品集を読みました。書名になっている「この世の喜びよ」は、ちょうど1年前、2023年1月に発表された芥川賞の受賞作ですが、ほかに「マイホーム」・「キャンプ」という短編が入っています。
西宮あたりで、公立高校の教員をなさっている方だと聞いて、2021年に野間文芸新人賞を受賞されたという「ここはとても速い川」(講談社文庫)という作品を読んで 「あっ、この人は、ちょっとちがう!」 まあ、そんな、感想を持って注目していた人でしたが、最近気に入っている乗代雄介とは、まあ、好対象(笑)というか、2作目で芥川賞でした。 あなたは積まれた山の中から、片手に握っているものとちょうど同じようなのを探した。豊作でしたのでどうぞ、という文字と、柚子に顔を描いたようなイラストが添えられた紙が貼ってある。そのまえの机に積まれた大量の柚子が、マスク越しでも目が開かれるようなにおいを放ち続ける。あなたは努めて、左右均等の力を両足にかけて立つ。片方に重心をかけると体が歪んでしまうと知ってからは、脚を組んで座ることもしない。腕時計も毎日左右交互につける。あなたは人が見ていないことを確認しつつ片手に一つずつ握っていき、大きさ重さを感じながら微調整し、ちょうどいい二つをようやく揃えた。喪服の生地は伸びにくいので、スカートの両側についたポケットにそれぞれ滑り込ませると、柚子の大きさで布は張り膨らむ。この柚子は娘たちに、風呂の時に一つずつ持たせてやろう、とあなたは手の中のを握りしめた。従業員休憩室に、おすそ分けがこうして取りやすく置いてあるのは珍しい。大きなショッピングセンターなので休憩室は広く、売り場のコーナーごとに仲良くまとまっている。仲間内でお土産が配られたりして、普段は分け合っているのを横目で眺めるだけだ、お菓子などは、あなたにはいつも回ってこない。(P7~P8) 書き出しの、最初のパラグラフです。「あなた」という2人称の代名詞で語られる「誰か」の行為(外面)から意識(内面)までが、この作品で、その「誰か」のことを「あなた」と呼んでいる書き手によって描かれていました。 誰かは、引用部で分かるように、どこかのショッピングセンターの喪服売り場で 「仲間内でお土産が配られたりして、普段は分け合っているのを横目で眺めるだけ」 だと感じながら働いていて、もう少し読めば、ポケットに入れた柚子を 「風呂の時に一つずつ持たせてやろう」 と思う二人の娘が、すでに就職したり、大学生になっていたりしている、おそらく40歳をこえる女性だということもわかってきますが、問題は、その女性を「あなた」と呼んで、この文章を書いているのは誰なのかということですね。 例えば、よく知られたこんな書き出しの小説があります。 「或日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待つてゐた。」 教科書でご存知でしょう、芥川龍之介の「羅生門」の冒頭ですが、この一文の「一人の下人」を「あなた」に置き替えてみると、読者はこの小説の 「書き手」と「あなた」の関係は何か? から目を離せなくなると思いませんか。小説が説話物語的な構造を捨てて、書き手と、登場人物である「あなた」との「関係」を描かずに終えることはできないだろうという、まあ、 ある種の緊張感 を内包する現代小説化していくと思うのですね。この作品は、そこに着目して現代を生きる人間を描こうとしているのではないか? まあ、そういうことを期待して、2ページ、3ページと、ほとんど何も起こらないこの作品のページを繰って読み続けながら、ボクの頭から離れないもう一つの疑問は「この世の喜びよ」と、作品名によって明示されている、 「この世の喜び」とは何か? ですね。 で、この本の7ページから96ページまで、全部で89ページある、この作品の87ページまでたどり着いたのですが、語り方に変化はありませんし、題名理解への暗示もありません。 ところが、最後の2ページです。突如、もう一人の「あなた」が登場し、初めて、他者に2人称で呼び掛ける、1人称の「私」も登場します。 「私は炎みたいな形の木とか、太い幹の根もとから色の薄い若木が取り囲むように生えてて、これから競い合うように、枝はどう伸びていくんだろうとか、そういうのを眺めてた。」 初めて、この小説に、一人称の「私」が出てきた一文の後半です。 で、作品は指示対象が異なるらしい二つの、同じ二人称代名詞「あなた」の出てくるこの一文でとじられます。 「あなたに何かを伝えられる喜びよ、あなたの胸に体いっぱいの水が圧する。」 ここまで読んできて浮かんできた、あれこれの疑問が、この一文ですべて氷解したりはしませんでしたが、読み終えたとき、なんだか深くため息をつきながら、 「胸に体いっぱいの水が圧」している「あなた」の姿を思い浮かべました。 わからないところは残っていますが、確かに、今という時代の、社会の片隅で、ひっそりと生きている人間の 「希望」 を描こうとしている作品であることは間違いないと思います。 納得です。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.04.28 21:41:07
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