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カテゴリ:読書案内「近・現代詩歌」
吉野弘 「母」 中村稔「現代詩人論 上」(青土社)より 中村稔の大著「現代詩人論」(青土社)を読んでいて、久しぶりに再会した吉野弘の詩です。吉野弘という詩人の詩は高校あたりの教科書で紹介されていたりして、所謂、人口に膾炙している作品も多いのですが、「母」と題されたこの詩は初めて読みました。1979年の「叙景」という詩集に載せられていた詩だそうです。
「母」 吉野弘で、中村稔の感想というか解説はこうです。 心に沁みる挽歌である。組み合わされた両手のくぼみに温もりと見まがうものを見たのはおそらく作者だけだろう。その母親の死を悼む気持ちが温もりと見まがうものを見させたのであろう。私はこの詩に若干こじつけめいたものを感じているが、作者の人柄を考えると、このまま受けとるのが正しいように思われる。(P354) ナルホド、ですね。 ボクは、この詩を読んで、病院のベッドで、ため息をついたと思うと、それを最後に静かに息をひきとった母の顔を思い浮かべましたが、手は浮かびませんでした。その時、ボクの右手は彼女のまだ暖かい右手を握っていたのですね。 で、ナースコールが押せなかったのですが、詰所のナースたちは朝の交代時で、そこに、たくさん並んでいたであろう画面の一つが、あれこれ波うちをやめて棒になったことに気付かなかったらしく、息子一人による見取りという体験になったのでした。 詩が描いているのは、それから半日ほど後のシーンだと思いますが、それを組み合わされた両の手の記憶のシーンとして、それから何年もたった、今、思い浮かべているところが、そういう言い方をすると身も蓋もありませんが、吉野弘のうまさですね。 詩が語っているのは現場の体験そのものではなく、詩人の記憶の中で結晶化(?)されつつある母の両手のようですね。 中村稔が「こじつけ」を口にしているのは、そのあたりかなあとも思いますが、そうはいっても、「心に沁みる挽歌」であること間違いないですね。ボクのような奴に、もう、10年以上も昔の母の手の、最後のぬくもりを思い出させたのですからね(笑)。
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最終更新日
2024.05.12 22:10:17
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