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吉本隆明「ちひさな群への挨拶」「吉本隆明代表詩選」(思潮社)より
三泊した病室で天井をボンヤリ見ながら、周りから聞こえてくるうめき声やしわぶき、ときどき響き渡るモニターの発信音を聞きながら、何故か、50年ほど昔の下宿暮らしの頃に、天井に貼っていた詩の文句が浮かんできて、スマホを取り出してググってみると、結構、出てくるもので、しばらく、自分が今いる境遇を忘れて読みふけっていると時間もいつの間にかたっていて、少しうとうとできるという体験をしました。 自宅に帰ってきて、もう一度、今度はそれぞれの詩集とかで読み直しながら、2024年の5月の月末の備忘録のような気持ちで、思い出した詩を写しておくことにします。 とりあえず、一つ目は吉本隆明の「ちひさな群への挨拶」です。 ちひさな群への挨拶 吉本隆明 今回、書き写すために参照したのは思潮社の「吉本隆明代表詩選」というアンソロジー詩集ですが、その中に、10年ほど前に亡くなった詩人、辻井喬さん、実業家としての名は堤清二で、西武百貨店の重役だった人ですが、彼のこんな言葉がのっています。 吉本隆明の作品を考える場合、「詩」という言葉でどこまで含めたらいいかという問題にぶつかります。というのは、たとえば「マチウ書試論」は感性に訴える思想の運動を記した詩作品だと思うからです。しかし、不本意ながら慣習に従うなら「転位のための十篇」のなかの「ちひさな群への挨拶」でしょう。辻井喬ボクが記憶していたのは ひとりつきりで耐えられないから という2行でしたが、1974年に二十歳だった青年は何を考えていたのでしょうね。でも、まあ、そういう時代が50年前にあったことは事実で、そういう感受性というのは、どこかに眠っているのかもしれませんね(笑)。
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最終更新日
2024.06.05 23:33:19
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