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カテゴリ:読書案内「社会・歴史・哲学・思想」
立花隆「思索紀行 上」(ちくま文庫) 元町の古本屋さんの棚で、この本を見つけたときに、著者でである立花隆という希代のジャーナリストが2021年、80歳で亡くなったことをふと思い出しました。角栄とか、日本共産党とか、まあ、あんまり興味を感じなかったのですが、それ以後のサル学とか宇宙とか、いろいろ思い浮かんできて、手に取ってパラパラしながら、
あれ? これ、読んでないな。 で、買ってしまいました(笑)。 買い込んだのは立花隆「思索紀行 上・下」(ちくま文庫)で、今回の案内は上巻です。2020年にちくま文庫になった本ですが、元々は2004年に書籍情報社というところから出されていた本のようです。で、中の記事はというと、下の目次の後ろに書き添えたとおり、かなり古いわけですが、ボクには今でも十分面白かったですね。 目次 本の作り方については、序論の終わりにご本人がこんなふうにまとめていらっしゃいます。 これは相当に変な作りの本である。何しろ、あちこちが未完だらけなのである。それでもそれでよしとする理由があってそうしたということは、先に述べたとおりである。 要するに、雑誌等の記事として発表はされたけれども、書籍化できていなかった「旅の記録」、ルポルタージュを、2004年に書籍化したという本らしいですね。 彼は「旅」について序論の始めころにこんなふうにいっています。 まず、 日常性に支配された、パターン化された行動(ルーチン)の繰り返しからは、新しいものは何も生まれてこない。知性も感性も眠りこむばかりだろうし、意欲ある行動も生まれてこない。人間の脳は、知情意のすべてにわたって、ルーチン化されたものはいっさい意意識の上にのぼらせないで処理できるようになっている。そして、そのようにして処理したものは、記憶もされないようになっている。意識の上にのぼり記憶されるのは、ノヴェルティ(新奇さ)の要素があるだけのものなのである。(P42) で、 旅は日常性からの脱却そのものだから、その過程で得られたすべての刺激がノヴェルティの要素を持ち、記憶されると同時に、その人の個性と知情意のシステムにユニークな刻印を刻んでいく。旅では経験するすべてのことがその人を変えていく。その人を作り直していく。旅の前と後では、その人は同じ人ではありえない。(P42) と、まあ、結論して、もう一言付け加えます。 旅の意味をもう少し拡張して、人の日常生活ですら無数の小さな旅の集積ととらえるなら、人は無数の小さな旅の、あるいは「大きな旅の無数の小さな構成要素」がもたらす小さな変化の集積体として常住不断の変化をとげつつある存在といってもよい。(P43) ボクは、生まれて初めての入院という体験をしながらこの本を読んでいたのですが、まあ、こういう記述に文句なしにうなずきながら眠れない夜を過ごしたのでした。 消灯時間は、午後9時だったのですが、枕許の灯りについてはお小言なしで、その上、ひっきりなしに呻いていらっしゃる同室の意識不明の方々のお世話で、繰り返しやって来られる夜勤の看護師さんたちの元気な行動をカーテン越しに伺いながら、初体験の「ノヴェルティ」に興奮しながらの夜を徹しての読書でした。ベッドに寝ころんでいただけですから、旅をしたのかどうかはともかく、まあ、ウトウトして目覚めると、昨日までの日常の風景とは違うところに寝そべっていたことは間違いないですね。 というわけで、この上巻で、おもしろかったのは、もちろん、「無人島生活六日間」でしたね。皆さんも、病院のベッドとかでいかがですか(笑)。
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最終更新日
2024.06.13 23:55:20
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