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カテゴリ:読書案内「現代の作家」
村田喜代子「龍秘御天歌」(文藝春秋社) 2024年、まあ、今年の夏のはじめに「ちゃわんやのはなし」という、十五代沈壽官さんという、薩摩焼の当主を追った、実に味わい深いドキュメンタリー映画を見たときに、思い出した本が三冊あったのですが、その一冊が、今日案内するこの小説です。
村田喜代子の「龍秘御天歌」(文藝春秋社)ですね。1998年、ですから、25年も前に「文学界」に発表され、その後、単行本として出版され、今では文庫で読むことができる作品ですが、映画で、歴史事実の解説として、アニメーションで描かれていた薩摩焼の初代と同じく、まあ、「ちゃわんやのはなし」の登場人物たちは 500年の歴史の中を生きていらっしゃった! わけですが、本作は、同じ、慶長の役で拉致されて、日本で窯を開いた朝鮮の陶工の初代の葬式を、慶長の役、丁酉(ていゆう・ひのととり)倭乱から、ほぼ、50年後の江戸時代初期という時代と、黒川藩という、多分、有田あたりに架空の藩を設定することで、 小説的想像力を奔放にふるって描いた作品! です。 初七日を迎えると、忌中の家はいちおう普段の暮らしにもどる。龍窯で知られた辛島家にも精進落としの日がやってきた。朝の内に檀那寺の願正寺で内輪だけの法要をすませた。その後に精進落としの酒肴を弔問客に出すのだが、これは皿山の土地柄で一日の窯仕事が終わった夕方から席を設ける。 これが書きだしですが、すでに、日本名を名乗っている龍窯という窯の窯元、辛島家の初代、当主、十兵衛が亡くなり、通夜、葬儀、埋葬が滞りなく終わったかの初七日の法要のシーンから始まりますが、ここから250ページ、小説が描いているのは 一人の人間の死と魂のゆくへをめぐる、夫婦、親子、一族のドラマでした。 引用個所から、亡くなった十兵衛の跡取り、長男の十蔵が、参会者に向かって挨拶を始めますが、描かれるのは屋敷の客間、中の間、下の間に集う50人を越える人間たちの、一人一人の身分、年齢一覧でした。 上の八畳間は外からの客で、顔ぶれはこうだ。 ここまで、この初七日の席に座っている人の名前を真面目に読んできた人はえらいと思います。写しているボクも、ちょっとエライ。で、何で、この個所を引用したのかといいますと、一つは 葬式とはこういうものである! という作家の視線というかを、とりあえず紹介したかったわけです。ここではまとめて引用しましたが、作品では、一人一人、行分けして描かれています。 で、二つ目は、今、この席に座っている伊十という、辛島十兵衛と流浪を共に生きてきた老人がどんな気持ちでここにいるかというところから、この七日間に、辛島家の葬儀の現場でおこったドラマ、つまりは作品全体の二重構造が見え始めるという、とっかかりを、案内しないわけにいかないと思ったからですね(笑)。 七日目に行う日本の精進落としじたい、伊十には納得がいかない。坊主がきて経をあげた後は飲み食いだけで忌み明けとなる。伊十の故国では死者を出した家は、三年間も忌み明けはできない。葬式後七日目といえば、喪主は故人を埋めた墓地に仮小屋を建てて寝泊まりし、仕事もなげうって朝に晩に膳を差し上げ、地へ頭をすりつけて礼拝に励んでいる頃だ。国が異なると弔い方も違うのは仕方がないが、何と想いの薄いことだろう。 それぞれ、座敷に座っている人たちが、もう一度眺め直されていることがお分かりになるだろうと思いますが、この作品の面白さは、こうして作家が描き始めた目の前の世界を朝鮮の魂が底流する二重構造とあつらえたところにあると思いますが、この後のワクワクするような展開の主人公は、百婆こと朴貞玉(パクジョンオク)ですね。 龍窯という窯を夫十兵衛を支え、伊十や権十を励ましてつくりあげ、子を産み、子供たちの妻子を教育してきた、百婆という女性の、自由でおおらかで気骨に満ちた振舞いのすばらしさは、ちょっと言葉では言えませんね。まあ、お読みになって、お確かめください(笑)。 映画「ちゃわんやのはなし」で、たしか、十四代沈壽官を支えたお母さんだったか、十五代の奥さんだったが、蝶になって登場するシーンがありましたが、 「あっ、百婆だ!」でしたね。 これで、「ちゃわんやのはなし」で思い出した二冊目の案内終了です。あと一冊ですね。残すは「パッチギ・対談編」です。ガンバリマス! 追記2024・08・03 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.08.09 00:24:45
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