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カテゴリ:読書案内「映画館で出会った本」
李鳳宇・四方田犬彦「パッチギ! 対談編」(朝日選書774) 2024年に公開された「ちゃわんやのはなし」というドキュメンタリ―映画を見ていた思い出した本がりました。
1冊目が、映画の、ほぼ、原案というか、アイデアというか、制作者をインスパイアーした作品はこれだろうと思った司馬遼太郎の「故郷忘じがたく候」((文春文庫)、2冊目が見ながら浮かんできた村田喜代子の傑作「龍秘御天歌」((文春文庫)。 で、3冊目が、エンドロールに出てきた映画のプロデューサの名前に、思わず「ああ、この人か!」と思って、思い出した、李鳳宇と四方田犬彦の対談集「パッチギ! 対談編」(朝日選書)でした。考えてみれば、もう、20年も昔の本です。 李鳳宇とわたしがはじめて会ったのは一九八九年のことだった。彼は設立したばかりの映画配給会社を妹さんと二人でやりくりしていて、わたしにパンフレットの原稿を依頼に来た。死ぬならパリで死にたいですねえと、彼は別れ際にいった。それも、若いころの津川雅彦に似た顔で、さりげなくいった。なんてキザな野郎だというのが、わたしの第一印象である。 で、とか何とかいいながらウマが合ったのでしょうね、一九五三年生まれの映画研究者・批評家と、一九六〇年生まれで、駆け出しの映画プロデューサーだった二人が、こうして出会った初対面から10年後の一九九八年、それぞれの「青春」時代について、一方が遅れてきた全共闘世代の高校時代を、もう一方は、日本人が知らない在日の高校生のワイルドな日常を語り合うことになります。 で、その対談から7年の時がたちます。 それから七年があっという間に経過した。李鳳宇は「シュリ」や「JSA」といったフィルムを次々と配給し、日本で韓国映画が大ブレイクするきっかけを作った。わたしは東アジアの大衆映画の研究に没頭し、その合間にTVで韓国文化についての連続番組に出演したり、二度目のソウルで長期滞在を果たした。 一人は、井筒和幸の「パッチギ」をプロデュースし、「韓流」ブームを演出したと評判だったプロデューサであり、もう、一人は、当時、書きに書きつづけていた、人気の映画批評家でした。 まあ、そんな二人が、二度目の「青春」対談をしたのが、2005年で、その年の4月に本になりました。 ボク自身、四方田犬彦の名は、80年代のニュー・アカブームで登場した当座から知っていましたし、その著作に関していえばほぼ「追っかけ」でした。が、李鳳宇の名は、映画「パッチギ」で初めて知ったばかりでした。 で、飛びつくようにして買い込んで読みました。 この対談集には2005年の対談と、1998年の対談の二つが収められていますが、読み直しても、やはり面白いのは、お二人が、それぞれの高校時代を語り合っている1998年の対談ですね。 四方田の高校時代についての語りは、同窓生で作家の矢作俊彦とか、経済学者の金子勝から ウソを言うな! と批判された前科があるくらいですから、まあ、当然(?)おもしろわけですが、李鳳宇の高校時代から、大学時代、特に今回読み直していて、たとえば1979年の朴正熙暗殺事件あたりの回想には、興味惹かれましたね。 まあ、その初読から20年です。実は、映画には、この初読の時期の10年前くらいから前から興味を失っていましたし、四方田の著作にも、この対談を最後に飽きて、その後のお二人の消息はよく知らない10年を過ごしていたのですが、毎日出かける仕事が無くなって、サンデー毎日の身の処し方に困って出かけ始めている映画館で李鳳宇の名前と再会して、四方田の本の山から、ようやく見つけ出して、読み直してみると、これが、案外、面白いことを再発見したという次第です。 本書の巻頭に、四方田犬彦がはじめにと題してこんな言葉を書いています。 時間は過ぎ去る。人間は年をとってゆくが、少しも利口にならない。いつも同じことをして一喜一憂したり同じ失敗をして自分がいやになったかと思うと、また気を取り直して新しいことに向かったりする。 うまいこと言いますねえ(笑)
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最終更新日
2024.08.23 23:45:38
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