週刊 読書案内 町山智浩「映画と本の意外な関係」(集英社インターナショナル新書)
町山智浩「映画と本の意外な関係」(集英社インターナショナル新書) 映画を見に出かけるときには、予告編はともかく、チラシとかレビューとかほとんど読みません。こう書くと、初見の感動にこだわっているように聞こえますが、ただ横着なだけです。最近では、見終わってチラシとか見直して、ああ読んでおけばよかったと思うことも結構増えてきました。 だいたい、「ネタバレ」も「人の感想」も全く気になりません。いやむしろ「ふーん見てみようかな」と思うことの方が多いと思います。多分、映画を見始めた20代の頃に、友達の評判とか映画評論家とかの文章に促されて映画館に通ったという「映画の見方」が根にあるのでしょうね。 映画を見ていて、最近増えたことといえば、チラシに、有名な「原作」が挙げられてると図書館で探したり、ちょっと気になる「セリフ」があったりすると、出どころをとりあえず調べたくなることです。 これも、若い頃、友達の映画好きが、「映画作品」と「原作」との異同や、映画中の「セリフ」の典拠とかを、やたら語って聞かせてくれたことの影響ですね。 今回案内する町山智浩の「映画と本の意外な関係」(集英社インターナショナル新書)という本は図書館の棚で見つけたわけですが、町山智浩の「語り口」が気に入り始めているということがもちろんあるのですが、あの頃の話題の型に似ていて興味をそそります。そういう話がぼくは好きなのでしょうね。 たとえば、この本の第9章は「天墜つる」と題された「007映画」についての蘊蓄なのです。「Sky fall」というダニエル・クレイグという、どっちかというとロシアのスパイみたいな顔の007が活躍する映画の和訳で、ジュディ・デンチがMの役だったことで覚えていましたが、10年ほど前の映画の題から章の題がつけられています。 要するに、数多ある「007映画」で、文学がどんなふうに引用されているか、というか、まず「ことば」、「セリフ」がどんなふうにつくられているかという、結果的には至極まじめなエッセイなのですが、冒頭では、所謂、下ネタが連打されています。 過去のボンドガールの名前にまつわるネタです。「ゴールド・フィンガー」の、ボンドガール、女性パイロットの場合。「私はPussy Galoreよ。」 これは説明が要らないようなものですが、「Galore」は「タップリ」という意味だそうです。「ダイヤモンドは永遠に」のプレンティ・オトゥールさんの場合。 この名前は「Plenty of tool」 と聞こえるんだそうで、「××でいっぱい」という意味になるそうです。何がいっぱいなんでしょうね。「ゴールデン・アイ」のゼニア・オナトップさんの場合。 この名前は「Then,you are on the top」 と聞こえるそうで、「次は上で」という意味だそうです。お分かりですね、順番があるんでしょうね。「ムーンレイカー」の女性科学者ホリー・グッドヘドさんの場合。 名前が「Holly,good head」 「凄く頭がいい」なのですが、「good head」が曲者で、下ネタ系のスラングの好きな方は、まあ、調べてみてください。 まだまだ続くのですが、まあ、このくらいにしますね。 ここまでお読みになると、なんというか、その手の話で持たせているような「誤解」へと誘導しているようですが、実は違います。 この後、「007映画」について「題名」と英語の格言、詩の文句を照らし合わせながらの解説が始まり、最後には「Sky fall」という23作目の解説をアルフレッド・テニスンという詩人の「ユリシーズ」という詩を引き合いに出してまとめてみせます。たしかに多くが奪われたが残されたものも多い昔日、大地と天を動かした我らの力強さは既にないだが依然として我々は我々だ我らの英雄的な心はひとつなのだ時の流れと運命によって疲弊はすれど意志は今も強固だ努力を惜しまず、探し求め、見つけ出し、決して挫けぬ意思は(アルフレッド・テニスン「ユリシーズ」) この詩は、映画の中では、引退を迫られたMであるジュディ・デンチが、自らを励まし、盟友ボンドへの呼びかけ言葉として、口ずさむ詩の文句ですが、テニスンの詩で、その「詩句」は大英帝国の誇りと希望を代弁していると指摘して、解説は格調高くしめくくられると思いきや、こんな1行を付け加えることを忘れません。今回のボンドガールは77歳のMだったことがわかる。熟女ブームとはいえ、熟女すぎだよ! というわけで、笑いながら次の章に進むというわけなのですが、そのほとんどが、見ていない映画に対する蘊蓄なのですが、退屈することはありませんでした。 しかし、中には「太陽がいっぱい」を見た淀川長治が主人公トム(アラン・ドロン)とフィリップ(モーリス・ロネ)の関係を、映画を見ただけで「トムのフィリップに対する恋」の物語だったと見破っていたとか、昨秋見た「インターステラー」という映画の中での博士の最後の言葉「心地よい夜に身を任せるな」というセリフはディラン・トマスの詩の一節であるとか、見たことのある映画や、読んだことのある作家や詩人、知っているエピソードに対する言及に出会うと、当然ですが、ちょっと興奮したりしながらの楽しい読書でした。 ぼくの中の「町山ブーム」は当分続きそうです。