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カテゴリ:読書案内「翻訳小説・詩・他」
チョン・ジア「父の革命日誌」(橋本智保訳・河出書房新社) 今日の読書案内は現代韓国文学の話題作、チョン・ジアという女性作家の「父の革命日誌」(橋本智保訳・河出書房新社)です。
「父が死んだ。電信柱に頭をぶつけて。生真面目に生きてきた父が電信柱に頭をぶつけ、真摯そのものだった人生に幕を下ろした。」(P005) 死んだ父は80歳を過ぎた老人で、名前はコ・サンクウ。前職がパルチザンだそうで、似たような年恰好で脊椎狭窄症の母と二人暮らしでした。 語り手は一人娘で、名前はコ・アリ、50歳を過ぎて一人者です。名前のアリは白鵝山(ハクアサン)の「ア」と智異山(チリサン)の「リ」で「アリ」。漢字で書けば鵝異、命名の経緯は、下に引用した訳者の著書紹介でも見当がつくと思いますが、語り手が、父親のことを「前職パルチザン」と呼んでいるととも繋がりますし、作品の背景にある韓国現代史も浮かびあがってくるのですが、まあ、作品中に書かれていますから、まあ、そちらをお読みください。 で、彼女は都会、多分、ソウルあたりで、大学の講師かなんかして暮らしているようですが、父の死を知って智異山(チリサン)の麓の求礼(クレ)という生まれ故郷に帰ってきて、葬儀を取り仕切っています。 小説は、父の葬儀のドタバタの数日を描いている、まあ、いってしまえば 「お葬式」小説 です。 親の葬儀の経験のある方であれば、どなたでも体験されるんじゃないかと思いますが、知っているつもりで知らなかった親の真の姿の発見のオドロキが描かれています。ありきたりといえばありきたりですが、どんどん読めます。 「面白い!面白い!」 と、ボクがどんどん読めてしまった理由は、「前職パルチザン」の両親の生活に対する興味がまずありました。ボク自身の現代韓国社会に対する関心に。ほとんどジャストミートで応えているところです。 で、もう一つは 「ユーモア」小説だ!ということですね。 表紙をご覧になって、お気づきかもしれませんが、葬儀に集まる、母親はもちろんのこと、叔父、叔母たちや、知人たち、全く想像もしなかった少女の登場に到るまで、一見、 ぶっきらぼうなユーモア あるいは、自分を笑うというか、集まった人たちに対するちょっと醒めた眼で語り続けてられています。 しかし、笑いながら、読み続けていると、その照れ隠しのようなユーモアで語られる、人々の描写の底には、語り手の人間たちに対する、そして、もちろん、父や母に対する、「愛のようなもの」があるという発見にたどりつく葬式の終わりがやって来ます。 で、その焼き場で泣き始めた語り手の姿をみて感じた納得が三つ目の面白さでした。 父の遺灰を握ったまま、私は泣いた。 ドタバタだった葬儀の終わりに、初めて涙を流すシーンの冒頭ですが、「パルチザンの娘」を生きてきた語り手が、パルチザン以前に、 人間として生きた父親の素顔の発見! にたどりつく感動のラストです。 チョーありきたりです!しかし、パルチザンの娘として偏見と蔑視にさらされて生きることを押し付けられた50年の人生の苦闘の結果、あたり前の人間として生きた父親の遺灰を抱きしめるかのラストは、社会、家族、個人という、まあ、吉本隆明ふうにいうなら、共同幻想、対幻想、個的幻想という、人間存在を縛る幻想性の衝突と和解を文学的に昇華させんとする作家の力技のなせる業だと思いますが、実に、感動的ですね(笑)。 楽しいだけの作品ではありませんでした。私たちが見失っている歴史性・社会性の上に立たないかぎり、あるいは、共同幻想との対峙を見据えないかぎり、家族との葛藤や自分自身の叫びのリアル、対幻想や個的幻想の真相にはたどり着けないことを描いている作品だと思いました。 なんだか訳の分からないことをウダウダいってますが、小説という表現は、それを書いている作家がどんな社会やどんな時代をどんなふうに生きているのかを伝えるものだったのだということを思い出させてくれた作品でした。 訳者である橋本智保さんがあとがきでこんなふうに著者の紹介をかいていらっしゃいます。 本書は2022年に韓国で刊行された「父の革命日誌」(チャンビ刊)の全訳である。 まあ、これだけでお隣の国の政治、社会のことをいかに知らないか実感したのですが、一人の人間が「書く」という時に、今、生きている社会にたいして、書き手がどんな覚悟をもっているのか、読み手の側も、腹を据えて読む必要を実感した読書でもあったわけです。 で、出版社の著者紹介はこんな感じです。 チョン・ジア (チョン,ジア)韓国の新しい文学、翻訳も揃い始めています。面白そうですよ。
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最終更新日
2024.08.24 10:00:25
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