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カテゴリ:読書案内「社会・歴史・哲学・思想」
半藤一利「わが昭和史」(平凡社新書) コロナ騒ぎが始まったころ亡くなった半藤一利という、元、文芸春秋社の編集者だった方にはまっています。読みやすいんです。みんな語りですから。
で、今回は「わが昭和史」(平凡社新書)ですが、亡くなる半年ほど前に「こころ」という雑誌に掲載された、多分、インタビュー形式の記事の新書化です。 亡くなったのが2021年の1月、出版が2022年の4月の平凡社新書です。 半藤一利さんが、おそらく、最後に語った自伝です。 昭和五年(1930年)五月二十一日、運送業を営む父・半藤末松と、産婆のチヱの長男として、隅田川の向う側に生まれました。親父は自分の名前から一字とって「松男」にしようとしたって言うんだけど、「一利」と名づけられた、理由は知らねえ。東京市はまだ十五区しかないころで、私が生まれた今の墨田区あたりは、東京府下南葛飾郡吾嬬町大字大畑といって、見渡しても田んぼと畑と野っ原ばかり、やっと人が住み始めたような田舎でした。これが、語り出しです。所謂、べらんめェですね。この辺りはまだおとなしいのですが、だんだん調子に乗って、関西人には、ちょっと耳障りです。まあ、慣れますけど(笑)。 で、ついでですから最後のページはこうです。 終わりに というわけで、おそらく、『こころ』という初出誌の連載終了の挨拶でしょうね。最後は越後弁で、生涯最後の語りを終えられていました。 まあ、ここまでには、出生から子供時代の空襲体験、越後長岡への疎開、戦後の学生生活、文藝春秋の編集者、社員としての思い出、歴史探偵への道、自らをネタにしながら、面白く語ることがやめられない、まあ、性分なのでしょうね、語りが満載です。かなり貴重だと思える歴史的証言もあります。その中で、 そうそう、そうですよね! と、ひざを打つ思いがしたエピソードをご紹介しますね。 話は三十年ほど前になりますが、ある女子大の雇われ講師を三カ月ばかりやったとき、三年生を五十人ぐらい教えたのですが、一方的に話すんじゃなくて、若いあなた方が何を考えているのか、授業の最後の十分ぐらいでアンケートを出すから答えてくれないか、とお願いして、「戦争についての10の質問」というのを出したんです。 この後、半藤さんは「歴史に学べ」じゃなくて 「歴史を学べ」 だと喝破なさっているのですが、引用は三十年前の話です。ボク自身、週に一度だけ、中学とか高校の国語の教員を目指している女子大生と出会っているのですが、半藤さんの、このエピソードはほんとうにリアルですね。 国語が取り扱う文章に対する歴史的な知識そのものがないのですね。 漱石も清少納言も鴨長明もみんな昔の人。で一括りです。 イヤハヤ、おそるべき時代ですが、三十年前に、すでに、そうだったんですねという納得でした。学ぶ人も教える人も、まあ、「歴史を学べ」ですね(笑)。 もっとも、本書は半藤さん自身の個人史であって、歴史探偵半藤一利の本領である幕末から昭和にかけての歴史について学ぶ本とは、ちょっといいがたいのですが、彼の代表作である、たとえば「昭和史」(平凡ライブラリィ―)や「幕末史」(新潮文庫)などの著作と、歴史学のプロを凌駕せんとするアマチュア精神にあふれた「語り」のスタイルが共通しているようで、そこが気に入れば半藤歴史学の入門書としては、なかなかいいんじゃないかという気はしますね。市井の人という言葉がありますが、やたらな「べらんめェ」は照れ隠しなのでしょうね(笑)。
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最終更新日
2024.09.01 22:51:25
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