立花隆「サル学の現在(上・下)」(文春文庫) 2004年ですから、ちょうど20年前に、授業の相手をしてくれていた高校生にあてて書いていた「読書案内」の記事が出てきました。口調もエラそうで、恥ずかしいのですが、捨ててしまうのも残念なのでここに載せることにします。
上の写真は単行本の、下の2枚の写真は文庫本の表紙です。 サル学の話が先週、国語の教科書に出てきました。聞く所によると、日本の学者の中で世界的にユニークな研究が多いのは「サル学」だそうです。
で、そのサル学について、立花隆というジャーナリストが書いた「サル学の現在(上・下)」(文春文庫)という本が、数年前に評判になりました。立花隆が日本のサル学の精鋭たちと出会ったインタビュー集です。「アニマ」(平凡社)という動物写真雑誌に連載していた仕事をまとめた本で、「サル学」ファンには見逃せない本ですね。今では文庫、上・下2冊ですが、えらい分厚い、まあ、所謂、大著でした。
ボクは今西錦司という、やたら文章の面白い京大の先生の「生物の世界」(中公クラッシクッス)・「進化とは何か」(講談社学術文庫)にかぶれて以来の「生物学」ファンです。高校時代には大嫌いな教科だった生物を好きにしてくれたのは、この今西錦司という不思議なおっさんです。
魚釣りからサル山の管理人までみんな学問なんですね。うちの学校にだって鹿が何を食っているかなんて、とりあえずどうでもいいことを大学で勉強した人もいます。みんなも生物の授業で出逢っている彼女、O先生は
「鹿は鹿センベイで生活しているのではありません。」
「そりゃそうでしょう。」
「草や落ち葉を食べます、時には烏を食べたりします。」
とマジメな顔で話す人ですが、そういう事に素人として興味を持つと、ほかの人から見ると
「はぁ? それがどうしたの?」
みたいな知識は確実に増えますよね。
「鮎釣りなんてただの一度もしたことがないのに鮎やイワナのテリトリー行動に詳しくなってどうするねん?」
と尋ねられるとこまるのですが、京大・今西学派(?)の川那部浩哉「川と湖の魚たち」(中公新書)とか宮地伝三郎「アユの話」(岩波新書)なんかに、はまってしまうとやめられなくなってしまいます。
「バス釣り・磯釣り」、「昆虫採集」、「動物園・水族館めぐり」エトセトラを実際に趣味にしている人にとってコタエラレナイ本はたくさんあるんですよ。
で、そういう本の内容の特徴の一つは経験と観察が、まず先行している事です。理屈じゃないんです。
「本が先か経験が先か。」
という問題の答えは人によって違うかもしれません。しかし、シンプルな疑問を生み出す経験や行動が先にあることは大切なのではないでしょうか。皆さんの中にも、この間の文化祭でビニールのゴミ袋でクジラ型大風船を作ろうとして、初めてゴミ袋の重さに気付くし、ヘリウムの重さじゃなくて高価さを知ったひともいるんじゃないですか。ほかの人の目にはビニール袋の風船なんて
「何の意味があるのか!?」
とアホらしくなるような文化祭での小さな「探検」の中にもガクモンの種はあったんじゃないでしょうか。
今話題にしている今西錦司という学者さんも当時の日本では有数の探検家、登山家です。そういえば「南極越冬記」(岩波新書)を書いた西堀栄三郎という人も京大山岳部の出身でこの学派です。その本はひょっとしたらもう手に入らないかもしれませんが図書館の新書の棚には転がっているかもしれません。1957年、日本人が初めて南極で越冬した時の記録です。南極での日々の感想が自由にかかれていて、西堀栄三郎の人柄や、日本の南極研究の出発点を作り出した人たちの理想と苦労の顛末がワクワク伝わってくる名著です。理系の人が書いた文章は率直で正直な所が心地よいのです。
ところで、サル学の精鋭たちは、たとえば、「ケータイを持ったサル」(中公新書)で評判になった正高信男さんのように人間社会を論じたがるかというと、実際はそれほどでもありません。どっちかというと論じたがらない人の方が多いかもしれません。むしろサルの行動や形態の観察に熱中していらしゃる。しかし学問としての出発点にある疑問の一つには、やっぱり、「サルと人間は何が違うのか」という辺りにあるということは共通しているようですから、まあ、広い意味では「人間学」の趣があって、素人でも読みやすいんですね。
人間の社会での「子殺し」が話題になった時期に
「動物は同じ種同士では殺し合わないのに、親が子を殺すなんて人間の本能が狂い始めたんだ。」
というような論調の社会批評がはやったのですが、その頃、
「サルもしまっせ!」
とばかり、世界的大発見をレポートしたのが杉山幸丸「子殺しの行動学」(講談社学術文庫)でした。日本のサル学のお家芸の、フィールドの猿たちに名前をつけて(名づけ)個体の行動の識別を行うという方法で、インドのサル「ハヌマンラングール」の群れを観察をした記録でした。この本で報告されているのは、あくまでも、サルという動物の社会行動の記録であって、人間がどうのこうのというところに結論をもっていったりしていません。そこが科学的な思考の禁欲的でかっこいいところですね。
一方、
「♪アーイアイ、アーイアイ、おさーるさーんだよ♪」
の童謡で有名なマダガスカルのサル、アイアイの研究者島泰三さんの新著「親指はなぜ太いのか」(中公新書)は、いろいろなサルの手のひらの図版がたくさん出てきて、指の機能の比較研究だと思って読んでいると、これがとんでもない結論に到達するのです。
動物が生きていくための基本要素を「食べること」と捉えて、口・手・行動の分析を進めていくと結論は・・・・・。
人間がサルから離れて人間になっていったときに何を食べていたのか。
にたどりつくのですね。
で、思い出すのは「ボーンコレクター」(ジェフリー・ディーバァー・文春文庫)です。突然ですけど、題名だけの連想で思い出しました。典型的アームチェアー・ディテクティブ=書斎で座って推理だけで謎を解くタイプの探偵、リンカー・ライムが印象的なミステリーです。
この小説も面白いのですけど「親指」はもっと面白かったですね。島探偵によれば、人間がアフリカの草原で生きのびるために、どんな生活を始めたのか、その秘密は、あなたの、その親指の形に隠されているのです。サル学と人類学の間の謎を解いてみせた、痛快極まりない好著。謎は読んでのお楽しみ。
なんか、立花隆は、ただの前振りでしたが、読みごたえは十分ありますから、そちらからどうぞ。じゃあね(笑)。(S)2004・6・10
追記
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