|
カテゴリ:映画「シネリーブル神戸」でお昼寝
空音央「HAPPYEND」シネリーブル神戸 「スーパー・ハッピィ―・フォーエバー」という若い監督の日本映画を見て、「こりゃ、結構イイネ!」だったので、勢いに乗って、で、題名にもつられて、こっちも見ました(笑)。
空音央監督の「HAPPYEND」です。チラシによれば ありえるかもしれない未来を舞台に描く青春映画の新たなる金字塔 なんだそうです。金字塔とか、みんな待ってるんですね(笑)。 確かに、カメラによる監視システムというのが近未来を感じさせるのかもしれませんが、未来というよりも、ボクが30数年暮らしてきた「学校」の、まあ、思い出すのも鬱陶しい管理体制の戯画という感じで、なんだかめんどくさかったのですが、教室での外国籍生徒の多さ、保護者の妙な低姿勢と教育制度に対する依存、そして、まあ、佐野史郎君が、なんというか、おためごかしを振り回しながらも、論旨としては終わっている校長を頑張って演じていましたが、教育という理念を忘れ去って、官僚的ご都合主義の権化と化している教員の姿、ああ、それからやたら永住証明書の提示を求める警官もですが、そういう登場人物の描き方の中に「未来」というよりも、有ったか無かったか議論のいるところかもしれませんが、所謂「戦後民主主義」の崩壊していく現在がクローズアップされている印象でした。 「これって金字塔じゃなくて、墓碑なんじゃないの?」 まあ、そう思わせてくれたマンガ的展開と結末は、ナルホド、映画の製作者たちの八方ふさがり的現在の状況に対する焦りのようなものを感じさせてくれて、そこに浮き上がってくるリアリティはなかなかでした(笑)。この映画に漂うそのあたりの感覚は悪くないですね。 でもね、ボクが面白かったことは、そことはちょっと違うことで、二つありました。一つは、「クソくらえ節」が繰り返し歌われていたことですね。岡林信康、名前をいっても若い人は「???」でしょうが、「友よ」という歌が音楽の教科書に載ったこともある(?)、60年代の(まだ、生きていらっしゃると思いますが)フォークソング歌手です。で、「クソくらえ節」というのは、たとえばボクのような年代が、50年ほど前に口ずさんだプロテストソングで、今でも歌えますが、こんな歌詞です。 ある日学校の先生が 映画では、この1番しか歌われませんが、2番、3番の方が面白いかもしれませんね。こんな歌詞です。 ある日会社の社長はん なんか、妙にリアルだと思いませんか?50年以上昔に流行った歌ですよ。たぶん、どうしてこの歌を、今、 わざわざ、劇中で歌わせるのかが問題! というわけですが、何となくわかりますね。岡林君が夢みた「夜明け」がこないまま、AIとかが「賢い」の代名詞化する、まあ、いってしまえば 電子計算機が一番偉い 社会になっているのですからね。 若い人たちはAIをくそくらえなんて思っているとはとても思えないこんな社会になるとは岡林君も驚いていらっしゃるでしょうね。だって、今や、とても「くそくらえ」では済みそうにないですもんね(笑)。 もっとも、ボクの驚きは、まだ、30代の空監督が、どこでこの歌を知ったのだろうという方でしたが(笑)。 もう一つの面白さは、映画を見ていて、 「えっ?これ、科技高ちゃうの?」ではじまりました。映画を見終えた後で馴染みのスタッフからいただいたのがこの地図です。 ロケ地が神戸だったんですね。それも、ほとんどの場所が日ごろの徘徊エリアじゃないですか。学校が市立の高校だと思ったのは間違いじゃなかったのですが、そのときは疑心暗鬼でしたが、 「ここはどこ? つぎはどこや?」 見ながら、ワクワク、とどのつまりには改装中のポートタワーまで登場して、 「見てみ、どこが東京やねん!学校も町も神戸やんけ!」誰に向かって、何をいきっているのか意味不明ですが、映画館のスタッフさんによれば、ロケ地の人々やエキストラで出演した人たちで先週は盛況だったそうで、メデタイことですね(笑)。拍手! 監督・脚本 空音央 撮影 ビル・キルスタイン 編集 アルバート・トーレン 音楽 リア・オユヤン・ルスリ キャスト 栗原颯人(ユウタ) コウ日高由起刀(コウ) 林裕太(アタちゃん) シナ・ペン(ミン) ARAZI(トム) 祷キララ(フミ) 中島歩(岡田先生) 矢作マサル(平) PUSHIM(福子) 渡辺真起子(陽子) 佐野史郎(長井校長) 2024年・113分・PG12・日本・アメリカ合作 2024・10・23・no136・シネリーブル神戸no275
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.10.29 15:15:12
コメント(0) | コメントを書く
[映画「シネリーブル神戸」でお昼寝] カテゴリの最新記事
|