週刊 読書案内 阪上史子「大竹から戦争が見える」(広島女性学研究所)
100days100bookcovers no37 (37日目) 阪上史子「大竹から戦争が見える」(広島女性学研究所) 謡曲の「井筒」で紀有常女が謡う和歌から、水原紫苑「桜は本当に美しいのか」(平凡社新書)の現代短歌へと、シマクマさんは私たちを誘ってくれました。僕は能を知らないと言いながら、縦横無尽、雄弁に語るのは、さすがです。 それにしてもこの企画「100days100bookcovers」が面白いのは、本の紹介のあとのコメントですね!私は気が利いたことをなかなか書き込みできず、もっぱら読んで楽しんでいるのですが、あっち行き、こっち行き、またそれぞれのFB友だちからの書き込みもあり…。能面が大好きなオーストラリアの友人からのコメントがあった時はびっくりしました。 さて、2日間の「青春旅行」から帰ってきたところです。バトンを受け取り、はてどうしようと…。最近は北村薫を続けて読んでいるのでそちらも気になるし、能も大好き。旅のおともに季刊俳句誌『いぶき』も持って行ったのですが、SODEOKAさんの前で俳句なんてとんでもない!会員になっているだけなんです。トホホ…。 桜についてつらつら考えながら廿日市で下車。市木が桜と…。廿日市でのお目当ては「クラフトジン桜尾」。廿日市には桜尾城というお城があるそうで、そこからジンの名前になったのかな? 次いでこの旅のメインである大竹市に足を延ばす。市内の亀居城本丸跡から瀬戸内海と桜の眺望を楽しむことができるそう。桜か…。 いや桜というより、そもそもこの大竹に来ることになったのは、先輩の先生が退職後に出された本を読んで、実際に足を運ぼうと思ったから。KOBAYASI君は市立伊丹高校卒業ですね。FBで知りました。この本の著者はKOBAYASI君の母校で長らく日本史の先生をされていた阪上史子さんです。 阪上先生とのご縁はないでしょうか?朝鮮文化研究部の顧問をされていました。…ということで、ずいぶん私的なセレクトですが、今回は旅の復習を兼ねて、この本を紹介させてください。シリーズ 広島地域近現代史―1著者:阪上 史子『大竹から戦争が見える』編集・発行:高雄きくえ 発行所:広島女性学研究所 筆者の阪上史子さんについて、本では以下のように紹介されています。 1946年、大竹市に生まれる。広島大学卒業後、兵庫県伊丹市、宝塚の公立高校で社会科(歴史)を担当。2007年退職。「神戸・南京をむすぶ会」「兵庫県在日外国人教育研究協議会」会員。現在、宝塚市在住。 私は担任した韓国人生徒との関わりをきっかけに「兵庫県在日外国人教育研究協議会」に関わり、退職した今もなぜか事務局長としてボランティアしています。先輩の先生方にはずいぶんいろんなことを教えてもらいました。阪上さんは尊敬する先輩のお一人です。 さて、大竹市はどんな町か。市のHPに次のように紹介されています。 大竹市は広島県の西端に位置し、古代には遠管郷(おかのさと)と呼ばれ、当時の都と九州・太宰府を結ぶ古代山陽道の安芸の国の終駅として、また交通の要所として栄えました。昭和29年9月1日に近隣と合併して大竹市として市制を施行し、現在に至っています。戦時中は旧日本海軍の潜水学校があり、戦後は引き揚げ港にもなった大竹港、JR山陽本線、山陽自動車道(広島岩国道路)のインターチェンジなど、交通の便が良く、小瀬川のきれいで豊かな水に恵まれた本市では、その後、パルプ、化学繊維、石油化学等の大企業を誘致し、瀬戸内地域で有数の臨海工業地区に発展しています。また、瀬戸内海では水産業が盛んで、その漁獲量、収穫量は県内有数となっています。 私の住む加古川市も海沿いで山陽道の宿場町として栄え、今は神戸製鋼などの企業を抱え、戦争中は…なんかとっても重なるんですけど…。デジャブ…。 私はずっと生まれた加古川に住んでいるけれど、大学から故郷を離れた阪上さんは、長く大竹市のことを知らないでいたわけです。 2011年、中国・海南島戦跡フィールドワークに参加し、日本兵が戦時中蹂躙した海南島に大竹が日本海軍兵士を送り出し、また敗戦時には大竹へ引き揚げるという事実を知るのです。 海南島と大竹の関係の深さや尋常ならざる大竹の戦争体験の調査や聞き取りを進めていかれます。それらの原稿を読まれた「ひろしま女性学研究所」の高雄菊枝さんのご尽力で1冊の本にまとめられ、その、上の1冊が私の手元に届いたのです。 ああ、私も広島、長崎、沖縄や南京、アウシュビッツでなく、まず足元故郷の戦争体験をちゃんと知ることで、戦争が生々しく立ち上がってくるのかもしれない…と思ったのでした。いずれにせよ、「現場主義」の私はまず大竹へ行きたいと思い、やっとこの夏決行することになりました。 本の構成は以下のとおりはじめに第一章 海南島に出会う第二章 大竹から「戦争」が見える第三章 大竹と朝鮮人おわりに 中でも第二章が中心になるのですが、歴史遺産たっぷりの大竹の中で、戦争中がすごい。軍都広島は、原爆の被害を受けたことが大きくクローズアップされるが、日清戦争時に大本営が置かれたり、呉の軍港をはじめ広島湾を囲む良港がたくさんあったりと、あたり一帯は戦争の加害とも大きく関わっています。 大竹市も大竹海兵団があり、5年未満の短期間のうちに15万人の訓練兵を輩出。城山三郎と笠原和夫は海兵団で同期、それぞれの作品から海兵団に関わる箇所を丁寧に拾っています。脚本家笠原が大竹以外の海兵団に行っていたら『仁義なき戦い』は生まれなかっただろうというエピソードも。主人公のモデルとされる元組長の美能幸三と同じ海兵団出身だとわかって通じ合うことができたとか。 また大竹は引揚港として、410,783人をフィリピン、沖縄、ベトナム、インドネシア、ニューギニア、中部太平洋、シンガポールなどから受け入れています。海南島や満州からも。映像の記録、引揚援護庁の記録などから具体的に浮き上がってくる引揚者の表情や思い。 詳細な当時の記録と比べ、最近の公文書の改ざんや非公開、そもそも公文書を作らないなどという政府はけしからんことですね。 日本中あちこちの近代インフラ整備の中で酷使された朝鮮人労働者はもちろんここにも。大林組の飯場に働く朝鮮人たちの朝鮮部落の記録や聞き取りも。原爆の被害も多い。占領時代に占領軍慰安所が一般婦女子の防波堤のためにつくられたという負の歴史もしっかり書いてあります。 慰安所設置はGHQの指示ではなく、日本政府が忖度して実施したわけです。沖縄の集団自決と同様、中国大陸で日本軍が行った残虐非道な行為を占領軍にされると信じたからなのです。当時は警察が慰安婦募集に奔走したと記録に残っているが、慰安所に従事させられた女性たちの人権は軽んじられたわけです。 また、軍隊関係地の跡地利用は国立病院や学校、民間企業に払い下げられ、駐留軍接収地が本来の所有者である企業に返還され工場誘致が進んだことで現在の大工業地帯となっていくわけです。 軍関係地が学校や企業となり、受験戦争を経て企業戦士になる。コロナ禍の今も忍従を強いられている日本はいつまでたっても集団主義から解放されないのでしょうか。目を覚さなくては! 第三章の大竹と朝鮮人では、大竹朝鮮初級学校のこと、大竹在住のおふたりの在日朝鮮人の方からの聞き取りと、阪上さんならではの温かい著述となっています。 大竹朝鮮初級学校の教員をしておられた姜周泰(カン・ジュテ)さんのお店が駅前にあるということで、阪上さんにお店の名前と電話番号を聞いて、アポなしで焼肉「照月」さんに。幸い81になられる姜周泰さんにご挨拶でき、焼き肉、ビールを美味しくいただきながらオモニといろんなお話ができました。 実際に大竹に行って炎天下に歩いて回るのは苦労するので、タクシーで要所をまわり、戦後生まれの運転手さんに話を聞くことができました。 大竹海兵団記念碑、あこがれ港広場、三菱レイヨン社宅跡地は今でもわかるけれど、潜水学校跡、大竹朝鮮学校跡地、引揚桟橋跡はずいぶん変わっていて地図と照らし合わせて確認するのみでした。最後に原爆慰霊碑を探して市民会館前へ行くと、会館内で原爆写真展と大竹戦後60年記念「大竹港引き揚げの記録」のビデオ上映が! 多くの大竹戦争体験資料も展示しており、夏ならではの催しに感謝でした。 とまあ、個人的な本の紹介にお付き合いいただいてすみません。みなさんコメントもしにくいし、バトンタッチするSODEOKAさんにも申し訳ないです。ぐっとワープしてどこか遠い所へ連れて行ってくださいませ。よろしくお願いします。 追記2024・02・16 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) 51日目~60日目いう形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。ボタン押してね!ボタン押してね!