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カテゴリ:日記
今朝の新聞で、11月28日は、今やチョットしたブームにさえなっている「白州次郎」が83才でなくなったのが1985年の今日だという。
戦後、吉田茂首相の懐刀として活躍されたことで名高い。 田舎生活の後、歴史の大舞台に連れ戻され通訳としてまた、ブレーンとして大役を務めました。 マッカーサーが日本に降り立ったときその通訳を務めたのが白州次郎。 GHQに対しては英国仕込みの英語と哲学で真っ向から対決します。 日米講話、通産省の創設にも深く関与されたそうです。 オックスフォードに学び、西洋人に引けをとらない180センチ以上の体格とあつらえのツイードを瀟洒に着こなす格好良さ。 これは2年ほど前に訪れた、旧白州邸「武相荘(ぶあいそう)」のパンフレットです。 町田市能ヶ谷町1284 平成13年から一般公開。見学時間・・・10時~17時 当代一の目利きと称され数々の著書を残した樺山令嬢・正子。 「世紀のカップル」と言われた夫婦が、昭和15年(1940年)日米開戦を事前に察し、旧鶴川村の農家を購入しそのまま終の栖となったところです。 西洋に学んだ彼は当初から日本の敗北を予見し、大役を果たした後はまた田舎暮らしに戻ったのでした。 現在では都内・町田市の住宅街の一角になってしまい、ここだけが周辺の住宅とは異質の雰囲気です。 本来の姿をあまり変えないようにと慎重に改修された茅葺きの母屋ですが、足を踏み入れるとタイル張りでソファとテーブル、床暖房にもしてあったとのこと。 いたるところに飾られている器も正子氏が終生をかけて集めた骨董品です。 ともに留学経験があり、教養と洗練されたセンス、価値観は引きつけられるものがあります。 本物、上質の暮らしというのでしょうか。 休憩所でお茶を頂いたり、母屋の周辺を歩くことも出来ます。 静けさの中で、豊かな気分になれるところでした。白須次郎、正子の著作の購入も出来ます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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