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2010.05.05
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カテゴリ:心理学と神秘学
  ペラルゴニウム
ペラルゴニウム

アッラーの神も唯一神である。
全知全能の神であって、創造主であり、支配者でもある。
人間はアッラーの被造物であり、人間側から神の本質を論じたり、像を作ることは禁じられている。
礼拝堂(モスク)の中にも像はないので、仏教寺院やキリスト教会に比べると、モスクはガランとしている。
アッラーも、ヤハヴェと同じく人間に契約を迫った。
また、裁きの神でもあり、「最後の審判の日、どの魂も自分の所業を知るであろう、したことも、し残したことも、誰もが他人の面倒など見てやることができない日、その日こそ、すべての主権はアッラーのみ手にあるのだ」と言う。
審判に際しては、血縁の力も夫婦の愛も、どんな絆も無力であり、あらゆる審判の主権はアッラーにある。
神の前には人間は単独の者として、強い信仰と緊張感が要求される。
神と、一人の人間との間の関係がすべてなのだ。
これが契約宗教の特色で、ユダヤ教、キリスト教の世界でも同じであり、過酷な砂漠の中では、容易に人間や自然物を信じることができなかったのだ。
水と緑に恵まれた環境から生まれた神道などとはここに差がある。
現在の日本人の心が荒廃してきたのは、その根本にあった自然が破壊されたからではないか。
マホメトが出現する以前には、自然を崇拝する信仰があったようだが、彼によってアラビア地方をイスラム教が席巻した。
一神教の世界では、唯一神を信じるか、信じないか、その神と契約するか、しないか、神に救済を求めるか、それとも自然を信じるかの二者択一だけなのである。
常にそのどちらかに決めなければならない。
正しいものは一つしかないのだ。
中間の立場に立つことは優柔不断であり、消極的であり、信念がないことになる。
彼らにとっての思いやりとは、自分の信仰や信念を相手に解らせ、納得させることなのだ。
日本人には、強引な押し付けとしか思えない。
日本人にとっては、人それぞれ考えがあり、信仰があり、信念があるのだから、無理に他人の心へ踏み込まないのが思いやりというもの。
だから、イエス、ノーだけで即答しろと言われても困ってしまう。






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最終更新日  2010.05.06 08:02:28
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