|
テーマ:寿司(2)
カテゴリ:食の楽しみ
子どもの頃、わが家で食べたおいなりさんは、カンピョウをいなりに巻きつけた俵いなり寿司だった。カンピョウ生産農家が近くにあったという立地からだったかと思う。そんな懐かしい俵いなり寿司を食べるには、、、そうだ都寿司西屋に行こう。カンピョウ巻きのカンピョウをいなり寿司にのせて食べれば似たようなものだと試みたわけです❗️ この店、郡山市内の鮨屋さんでは最古参なのだそうです。だが、そこで驚いたのは先客も後からの客も皆、メニュー表示にないラーメンを啜っていたのだった。噂には聞いていたが昼の常連客は裏メニューのラーメン目当てということなのだろうか。もっともこの助六寿しも店内メニュー掲示にはない。あの時いた客5名全員がメニュー表示してない裏メニューを注文していたということになる(笑)これって凄くないですか❗️ ふりかえってみればネタ札はかかっていたがメニューは置かれてなかったかも。「握りは◯◯◯円から、、、」と口頭説明されましたが私は「助六寿司をいただけますか」と。後の2人連れの客は小上がりに座ったらまもなくラーメンが運ばれてきたような、、、来店前に電話注文を入れておいたのだろうか!? 今時メニュー価格表示してなくとも商いが成立する飲食店って超レアかも‼️次回は握り寿司を食べに伺うことにしよう。 聞くところによると都寿司 西屋さんの裏メニューには ラーメン、鰻、山鳥鍋諸々楽しめると教えてくれた方があった。 美味しいですよ〜(๑´ڡ`๑)と、鰻の時なんて、鰻のいい香りがお外まで〜(人*´∀`)。*゚だって! 加えて岩魚の骨酒までもタイミングが合えば用意するとのこと、究極のご用達と言いましょうか、マガママメニューに応えてくれる技量のある店ということかも。 【 郡山市内でおしゃれなランチを楽しむならここ!おすすめ店16選 】を検索 但し味好みは人それぞれなので、ご自分の舌に合うかは自己責任ということで! 寿司と云えばもともとは、江戸の市中で屋台での商いだった。長屋で中での火の扱いが禁止されて路上に屋台が現れて食事を提供されたわけです。江戸は近隣からの次男三男などの独身者が多く集まってきて3軒長屋に住んでいたわけです。うどん屋、そば屋などと並んで寿司屋も。今と違って安い値段で提供されていましたが、時代も変わり店を構えて味も質も向上して今では名店とも云われると高級な寿司屋さんが登場するようになってきたわけです。 握り寿司の寿司屋が誕生したのは、江戸時代の東京です。 誕生した当初は、庶民が気軽に立ち食いできる屋台としてスタートしました。 当時の寿司は今のようにひとくちサイズではなく、おにぎりのような大きさだったため、小腹が空いたときにひとつふたつをおやつのように食べるというスタイルが多かったようですとある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021/05/23 05:57:07 PM
コメント(0) | コメントを書く
[食の楽しみ] カテゴリの最新記事
|