昭和38〜39年ごろの記憶ですが、私が住んでいた田舎では、午後になると自転車の荷台に木箱を5、6段に積み重ね、一段が10センチ位だったでしょうか。主に干し魚、サンマの開きや、鰯の丸干し、かつをのナマリなどが入っていた。たまにマムシの開きなどもあった。隣の千代田村福島から行商に自転車で週に1回位廻って来た。仕入れは館林市の魚市場であったろうか。自転車に乗っての行商人の仕事、どうやって見つけたのだろうか。当時母親よりも年上だったように見えた40才位だったろうか。生きていればとうに100歳を超えているはずだから、もうこの世にはいない可能性のほうが大きい。
行商人と云えば、調味料会社の味の素が、アフリカで行商人なみの地べたを這った営業展開をした足跡が今、中央公論で「地球行商人」を連載中です。アフリカで売るには現地に生活する人々の日常の食べ物を知ってその舌が欲する調味料を作らなくては売れないわけです。販売ルートもない中で人間関係をつくってゆくところから苦労の連続なのがわかります。天下の味の素でも現地では、ほぼゼロの状況から開拓していることを知った。中央公論は郡山市でも中央図書館に足を運べば読むことができます。あるいはお近くの図書館をネット検索してみればいいでしょう。
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最終更新日
2023/01/31 10:46:50 PM
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