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カテゴリ:人間交流
「複写ハガキ」という人間交流のツールを広めた坂田道信先生が亡くなった。複写ハガキを書くことによって全国各地に友人ができました。坂田道信先生に初めてお会いしたのは平成3年(1991)でしたので32年前でした。長崎の深沢さんが主宰するJapan鷹山会で山形県米沢市の上杉鷹山公を訪ねる旅に参加しませんかと坂田先生からの電話があったのです。それから新潟県十日町市の村山さんの声掛けで全国各地から複写ハガキの仲間とのハガキ祭りで坂田先生との交流がありました。 郡山以北に講演旅などあると、帰路に郡山駅に下車して駅前ホテルで雑談会をしようと度々、声がけが有りました。 はがき道 https://www.chichi.co.jp/web/20230219_sakata_michinobu/# はがきの力 https://www.chichi.co.jp/web/nengajyou-hagaki-sakata-michinobu/ 『ハガキ道に生きる。』 「ハガキ」を1日30通、1年間に1万通を目標に 書き続けている男性がいます。 広島県に住む坂田道信(さかた・みちのぶ)さんです。 坂田さんは、1940年のお生まれといいますから… 坂田さんの書くハガキは、少し変わった書き方のものです。 『複写ハガキ』と呼ばれるもので…白紙の紙とハガキの間に カーボン紙を置いて書きます。こうすることで、当然、 上の紙に書いた文面がカーボン紙を通してハガキに写ると ともに、「自分の書いた文面がちゃんと残る」という仕組み なのです。 この『複写ハガキ』を始めたきっかけは、29歳のとき、 たまたまこの書き方を実践している人に出会い、 薦められたことでした。 「義務教育を終えたら…次の3つが出来なければならい。 挨拶ができること。ありがとうが言えること。 そしてハガキがちゃんと書けること」。 坂田さんはこの言葉を信じて、農業や建築関係の職に就き ながら、まずは身近な人へ宛てて、ハガキを書き始めたと いいます。 そして信じるままに書き続けて10年が過ぎたころ… 自分の「人生」に大きな変化が生まれていることに気が 付きました。 苦労した漢字や文章も、苦にならずに書けるようになって いました。そして、全国…日本全国に、ハガキのやり取りを する「友達」が出来ていました。そしてそれは、 「自分は一人じゃない」 そんな心の大きな支えになっていたのです。 さらに…『複写ハガキ』で残った何万通にも及ぶ文面を 振り返り、友人とはどうやって関係が出来上がってきたか? こんなことを書くと喜んでもらえる、こんな言葉は使うべき ではなかった…自分は何を考え、何を伝えてきたのか? これからの人生にとっての「大事なヒント」が、たくさん 残されていたのです。 坂田さんは、この「素晴らしい経験」をもっと多くの人に 知ってもらいたいと考えました。そして、全国を飛び回り、 『複写ハガキ』の良さを講演で訴え続けるようになったの です。そしてそれを聞いて実践した人からは、たくさんの 反響が届いています。 ある会社の上役が部下に「ねぎらいのハガキ」を 定期的に送り続けました。部下をどう指導してきたか? 一貫性があったか?振り返ることができました。 そして、それを受け取った部下の家では… ハガキがひそかに家族の目にも触れていて、 一家の大黒柱がどんなに大変な思いをして給料をもらって いるのか、それを知るきっかを作ったそうです。 坂田さんは、「字が下手とか、文章がうまくないとか、 気にすることはまったくない」といいます。 重要なのはそこにある思い…それは、ひとつ、ひとつ、 手で書かれた「文字」そのものが、ちゃんと伝えてくれるというわけです。 そして…話の最後に、こんなことを言ってくれました。 「財産といっても、モノやお金はいつかなくなります。 でも人と人との心のつながりは、たとえ死んだあとでも、 ちゃんと『想い出』として残ってくれるのです。」 プロフィール 昭和15年2月20日生れ。一男二女の長男。向原高校卒業。昭和42年(27才)結婚。昭和46年8月森信三先生に出会う。昭和50年10月、一男二女を遺して妻死別。百姓の合間に種々の日雇い職を経験。大工の名人に出会い、30才過ぎよりその配下で働き、現在に至る。大工兼業の百姓に従事しなから、ハガキ道一筋にかけた真実には眼を瞠るものがある。そのハガキ道は、一葉の「ハガキ」に全生命を托するやり方で、わずかに一枚のハガキでも、読む者をして感銘を呼びおこす。毎日、一日もかかさず、旅にあっても寸暇を惜しみ、乗車中でも、複写ハガキを構え、どんな人にも、どんな事でもハガキに託し、必ず返信し、しかもその一枚にこめられた謙虚な姿勢は心打たれるものがある。活動は一見地味なようであるが、内に燃える真実は一条鉄の如しで、大地に根ざした優しさがあり、この「ハガキの功徳」に気づいた。 ハガキを書く――この、日常の言わば何でもないようなことを継続・実践し、「ハガキ道」という道にまで高めた坂田道信さん。学問はない、裕福でもない、逆境の連続だった人生を、ハガキ一つで開いてこられました。そんな坂田さんが月刊『致知』読者限定の講演会で語った内容は、「人生のコツ」とも言うべき教えで溢れています。 ■弱くても生きられる文化 〈坂田〉 その人の実力は友達である――。頭、悪くてもいいんです。頭のいい人を友達にすればいい。お金、なくてもいいんです。お金持ちを友達にすればいい。国語ができない人は、国語ができる人を友達にすればいい。友達をつくる技術が生きる技術です。 私たちの先祖は友達づくりの技術を、躾(しつけ)という形で伝えたんです。挨拶一つできない人に、友達はできません。返事一つできない人に、友達はできません。履物を揃(そろ)える、立つ時机に椅子を入れる。これは約束を守るということに通じます。この躾の三原則を教えたら、親としての義務は9割以上果たせるんです。 テストの成績が悪いとかそんなことは、走りっこが一番か四番かという程度の問題です。走りっこが一番でも四番でも、人生には関係ないだろう? ところがいつからか私たちは、テストでいい成績を取れる人が幸せになれるという錯覚を起こしたんだよな。 私の若い頃、結婚は90%以上が見合いでした。年寄りは、結婚する女は器量よしがいいだの、頭がいいだのとは言わなかった。見合いの相手が履物を揃えとったらパス。これは凄いよね。 私はこれまで生きてきましてね。世間の人が持っとるものさしとは、違うものさしで生きたほうが幸せになれることが分かったんです。 それは森信三(もり・しんぞう)先生の言われる「全一学(ぜんいつがく)」というものさしです。分かりやすく言ったら「易(えき)」です。科学のものさしでなしに、易。科学のものさしは得てして西洋からきたものですから。 人と競争しないのが利口なあり方です。競争したら絶対に弱い者が負ける。勝った人でも、その上にもっと強い人が現れていつか負ける時がくる。 人間の感情の中で、悔しい思いが一番危険なんです。恨みを買わない生き方が一番の基本です。 西洋のものさしの価値観では、相手より強くならないと生きられないんです。資本が大きい、従業員が多い、誰それはこんないい家に住んでいる……、どれも相手より強く、大きくなるところに価値を置いています。 ところが世界の中で、日本だけが弱くても生きられる文化をつくり上げたんです。技――。西洋には技という概念がありません。自分が相手より強くならないと生きられんのですから。でもこの技があれば、相手が強ければ強いほどいいんです。その分、相手の力を利用して生きられるんです。 ハガキ道というのは、技の文化です。頭のいい人は絶対に複写ハガキを書きません。一対一だから手間がかかる。お金がかかる。だから頭のいい人は、効率や能率を考え、一対千といった接し方をするんです。 ■すべてのものに拝まれている いま、私はマイクに助けられとる。椅子に助けられとる。服に助けられとる。眼鏡に助けられとる。女房に助けられとる。子どもに助けられとる。近所の人に助けられとる。私が有名になったのはね、皆さん方が一枚一枚、毎日せっせと手紙を書いてくださったからなんです。 そうやって、すべてのものに拝まれとるなぁ、と気がついたんです。でも私は拝み返したことがなかったんだよな。俺はハガキを書くんだよ。日本一だよ。100万円以上使うよー言うて、恥ずかしいぐらい、自慢する言葉を口にしてきたんです。 ところが60歳を過ぎてだんだん体力が衰えてくるだろう。あ、拝み返すことが必要だなぁ、と坐禅断食をしながら気がついたんです。拝み返すことができるようになって一人前です。限りなく拝まれとる世界に対してね。 私たちは拝まれとる存在。拝み返すというのは、「感謝」をすることでもいいんです。ハガキ道というのは、拝み返す世界です。ハガキを書いたら売り上げが上がるとか、いいことがいっぱいある、手に入らんものはないくらいです。でもそれは表面的なことです。 裏には、命を与えてくださった人に対して限りない感謝の心が溢れている。24時間拝み返す世界へ入った時に、びっくりするくらいにそのことを感じました。 よく私たちはツイとる、ツイとると言うでしょ。年に数回はツイとることが起こるでしょ。自分の実力以上のことが起こるでしょ。でも私は感謝することを知ったおかげで、毎日がツイとる人生を歩かせてもらえるようになりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023/03/29 06:32:37 AM
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