温泉につかっての四方山話から
たのしみは 温泉つかり おとなりと よもやま話 花が咲くとき磐梯熱海温泉の元湯にて、仙人のような長くて白い口髭をはやした年配の方が元湯の冷泉の中に浸かっておりました。ずいぶんごりっぱな口髭ですね。何年生やし続けるとそのようになるんですか?と尋ねてみました。28歳のころから口髭をはやしたとのこと。仕事は建設関係の基礎杭打ちで、ディーゼル発動機による顔の汚れがひどくて、毎日落とすのがたいへんで髭をはやすと比較的に簡単に落ちることがわかったのだそうだ。それいらい髭の○○さんと覚えてもらい、やめられなくなったということでした。杭打ちの仕事は日当がよくて当時、職人の日当が「ニコヨン」と云われた時代に、24,000から25,000円になったということです。一般の働き手の日当の約100倍の超高給取りだったとのこと、しかも独立して、だいぶ儲かったとのことでした。東京オリンピック等、右肩上がりの時代だからどこも景気が良かった。とりわけ建設業は田中角栄首相がでたころは勢いが最高だったという。仕事は都内の大手建設会社からで一仕事2,000万の仕事だと200万のキックバックがあたりまえだったという。談合もあたりまえ、古き良き時代だったらしい。その後、台湾、中国、ベトナム等の海外で杭打ち専門で仕事。豪遊ざんまいの時代をおくったという。出身は茨城の潮来の近くだったという、現在、故郷に帰省すると「子供のころみた景色は何にも無くなっちまった」と、、、20年若い私が田舎に帰省しても遠くの山並以外は、かろうじて卒業した小学校の建物の一部と母の実家の茅葺の母屋が残っている位になってしまったわけだから、よく理解できます。故郷に育ったころの面影がないと、もはやそこは異郷の地と変わらなくなってしまうわけです。髭のおじさんは今年80歳になるそうだ。現在は仕事はもちろん引退ですが、関心ある建築業は東日本大震災でかろうじて仕事が廻り始めた状況ですが、有史以来初めての人口減社会に突入して、若者にはたして未来が明るく見えるものだろうかと云っている。ベトナムやカンボジアに行っちゃって働いたほうが未来が明るいんじゃないかとも云う。現在80歳と云うと、かろうじて戦地に行くのをまぬがれた年代、その年代の人はまさに日本の高度成長期を突っ走って日本の一番希望に満ちあふれた時代を生きてきた人達です。先に私が温泉からあがり、軽く右手を挙げての挨拶で別れた。