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カテゴリ:やりたいことを実現してゆこう
やればできるの精神 チャレンジしてみたいことがあったらチャレンジしてみたらいい。やらない前から諦めることはない。やりたい事があったらチャレンジしてみたらいい。最初はうまくいかないかもしれないが、諦めずにやり進めてゆけば、遣り方進め方に目醒めてゆくことになるかもしれないのだ。最初からうまくいけばしめたものだが、例えそうでなくとも突き進んでみれば遣り方をマスターできるかもしれない。その過程、研究してゆくのも面白い。 この時代はわからないことはweb検索してみればいい。チャットGPTだってあるじゃないか。自分で出来なければ、できる人の手助けを借りったっていいのだ。打つ手は無限。打つ手は無限と心得よ。 「やればできる」と云えば思い出す人がある。昭和39年、女子バレーボール東京オリンピック優勝に導いた大松監督の「成せば成る」精神。回転レシーブという技で、難しいボールをトスを上げて直ぐに立ち上がり守備からすぐ攻撃に移る、当時としては画期的なことだった。その「成せば成る」の語源は山形県米沢藩藩主だった上杉鷹山公( 1751〜1822)の歌に 為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり (なせばなる なさねばならぬなにごとも ならぬはひとのなさぬなりけり) 「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も」って? ということは、「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も」の意味は、「行動すればできる、行動 しなければ何もできない」。 つまり、これが転じて「どんなことでも強い意志をもってやれば、必 ず成就する」となった訳です。 上杉鷹山が詠んだ歌は元歌がありそれは甲斐の武将・武田信玄( 1521〜 1573)が詠んだ歌を参考にしたものとされています。その歌は、 「為せばなる 為さねば成らぬ 成らぬ業を 成らぬと捨てつる 人の儚さ」 ( 強い意志で行えば必ず実現するのに、できないと諦めてしまうのは愚かなことだ )という内容です また、さらにさかのぼると武田信玄の言葉も、もとは古代中国の書『書経』にある「弗爲胡成(為さずんばなんぞ成らん)」だと考えられています。 感銘を受けた先人の言葉を自分なりに言い変えた武田信玄、そして武田信玄の言葉を上杉鷹山がさらに自分に合わせて言い変え、この一首となったわけです。いずれも感銘を受けただけに終わらずに自分の言葉に咀嚼して歌にまで詠んだわけです。 はい、ここまでの流れが判れば私も先人を真似て詠んでみましょうか。 為せば成る 為さねば成らぬ あれやこれ 今やる心 意志有らばこそ by 新鮮美感@川島 これで今まで歴史上の人物であった、武田信玄公、上杉鷹山公と「為せば成る」の和歌を通じて急に親しみを覚える間柄と成れたと勝手にですが思い込めるわけです。イイネ。 戦国武将や藩主であったからこそ、歌に詠む位に「為せば成る」に拘りを持って取り組む姿勢があったのだろう。それに引き換え私やっと71歳をこえて気がつく。気がつくのがずいぶんと遅かった。30年くらい前、40歳を超えた頃に上杉鷹山公を知り、仕事でのインタビューで「やればできる」のキーワード言霊を引き出したことがあったことを思い出した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023/07/27 07:42:59 PM
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