鋏の音
長い間愛用していたヘンケル製のお気に入り花鋏は、荷物の中に入れたつもりだったのだけれど、ドサクサの中姉の家に忘れてしまったらしい。 それ以来、百円ショップで買った鋏を代用しているがイマイチで、大好きな鋏の音が響かない。 本物が欲しいなーと思いながら、やはり高価な鋏はなんとなく買う気がしなかった。 昨日、何気なく寄った刃物屋のバーゲンで、なんと二千円足らずで売っていた。 思わず手にとって握ってみた。 しっくりときて、中々良い塩梅だったので購入した。 久しぶりの、本格的花鋏である。 早速、お正月に生けた花の手直しに使ってみると、大好きな鋏の音がした。 それは、とても懐かしい音だった。 18歳で出遭ったいけばなを、わたしは12年間続けた。 わたしにとってのそれは、ある種の精神修養の場でもあった。 花材を前に置いて生けこむ前の、あの緊張と研ぎ澄まされた空間が、わたしは大好きだった。 高がいけばなで、と人は笑うかもしれないけれど、わたしにとっては実に崇高で落ち着く場所だった。 どんなに辛く悲しい出来事があっても、暗く澱んだ日々が続いても、その場に臨んだ瞬間、わたしの心は穏やかで満たされたものだ。 そんないけばなに、わたしが背を向けたのは、純粋さとは裏腹の現実の人間臭さに嫌気がさしたからである。 きっと若さゆえの純粋さが、清濁併せ呑むということを拒んだのだろうと思う。 今なら、案外それを受け入れることができたかもしれない。 わたしは、断腸の思いで鋏を置いた。 そして、二度と握るつもりはないと覚悟した。 でも、やはりいけばなも、花も大好きで、それらに対する思い入れは、無理をして断ち切る必要もないものだった。 鋏の音を聞くたびに今でも当時の純粋だった自分に会えるのだし、鋏の音は、わたしに再び静謐な時を取り戻してくれるのだから……。