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2011年02月11日
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カテゴリ:想い出 あれこれ

侘しい おかず

ラジオ放送「鎌田實 いのちの対話」で食べ物を取り上げていた。リスナーや公開放送の参加者から食にまつわるエピソードが寄せられていた。どれもが胸にキューンと響くものばかりだった。

PA0_0955.JPG 散歩は携帯ラジオ、竹細工しながらはこっちのコンポ

そのなかに弁当の話題があった。弁当と言えば僕にも忘れられない想い出がある。中学生の昼時間だった。昭和37年、この頃はどんな時代だったのだろう。そんなに豊かな時代じゃなかったように思う。

弁当に入っている肉といえば鯨の南蛮漬けの焼いたもので豚肉や牛肉はお目に掛かったことがなかった。多くは魚でカジキマグロが焼いてあったり煮魚がはいっていた。時々油で炒めた赤いウインナー(これも魚肉だったろう)にカレー粉で味付けしたやつ、そしていつも欠かさずに卵焼きが入っていた。それに海苔の2段重ねの飯が僕の弁当の定番だったように思う。

男子どもはパッと食って廊下に飛び出す。僕も口に放り込んでほとんど噛まずに飛び出す方だった。女子生徒はだいたい何人かがグループでお喋りしながら食べていた。

その日、いつもは前の扉から出ていくのに、たまたま後ろの扉から出た。一人だけ一番後ろの席にいた子が包んできた新聞で囲うようにして隠して食べていた。かえって逆にそれが目立った。僕が後ろを通ったときに彼女は食べてかけていた弁当箱の蓋を閉めた。だが背中越しに一瞬、見てしまった。弁当は一面が紅かった。外に何もおかずはなかった。ピンクのでんぷでなく紅い紅生姜のようだった。僕は知らんぷりして何も見なかったように扉を飛び出した。

彼女の家はレンズ磨きのコウバをやっていた。家内工業だった。ほどなくして知ったことだが、その頃、コウバが倒産したという。






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最終更新日  2011年05月19日 22時17分19秒
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