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カテゴリ:気になった映画・ドラマ
やっぱり泣いてしまった 『神様のカルテ』 小説を読んだのは震災の前。震災で図書館も長いこと閉鎖され、車のガソリンもなく大幅に返却期間を越えて借りていた小説だった。映画化されると予告編を観て、どんなふうに映画化されたの興味があったが、ようやく観ることができた。映画に原作を越える別物を期待するか、それとも原作をできるだけ忠実に反映し具体化したものを期待するかは、人によって分かれるところだろう。 少女雑誌のような装丁だが本格小説 ただ映画の時間的な制約からは、原作を反映するといっても限界が勿論ある。どうしても削ぎ落す作業が必要になるが、原作の何処あたりを取り上げるかで大分様子が違ってくるように思う。 原作の『神様のカルテ』は、地域医療における深刻な医師不足をベースに、そこで働く過酷な医師たちの姿を一人の純朴な青年医師の生き方を通してヒューマンに描いている。このベースの部分はきちっと映画に反映されていた。 どこをクライマックスにもってくるか。本の中では感動し泣かされる個所はいくつもあったが、僕にとっては消化器内科副部長の死にまつわる所が圧巻で、ここかと思った。だが、これを全体で2時間の中で収めるのはきついと判断したのかもしれない。映画では大学病院で見放なされた末期がん患者(加賀まりこ)と最期までを向き合い、みとる場面をもってきた。 キャストも満足いくものだった。特に、女性と言うよりも中性に近い、多くは語らず、ただそこに居てくれる、話を聴いてくれるだけで癒される、そんな存在感のある恋人のまんまのような連れ合い・栗原榛名を宮崎あおいが好演してる。大好きな女優さんだが、いつ観ても、何を演じても上手い。主人公の栗原一止は嵐の櫻井翔だったが、純朴な青年医師をうまく演じていた。妻夫木聡だったらどんな一止を演じたか観たかった。 その他の俳優では、消化器内科部長の柄本明もとぼけた感じがよく出ていた。主任看護師の池脇千鶴もピッたしの感じがした。いずれにしても小説に登場する人物は読者が自分なりのイメージを作り上げている。それを実在する俳優さんに演じさせるのだから大変だと思う。うまいキャスティングをしている。 ロケハンティング(撮影場所探し)も大変だった思うが、信州松本の雪に覆われた美しい山々、地方都市のちょっとした小路や風景が舞台効果となって随所に見られ、ロケ地での撮影が十分に生かされた映画になっている。一止が帰宅する神社前の坂道、榛名が撮影しながら待っている高台のロケーション、どういう位置関係にあるんだろう。多分まったく別の場面の撮影なんだろうが、自然につながっている。住まいが御嶽荘という元旅館という設定なのだが、セットなのか、もしかしたら何処かの旅館を見つけたのか、小説のイメージをうまく再現して古めかしく朽ちた感じがよく出ていた。一つだけ旅館の中にある小さな渡り橋は演出のために設定したのか、たまたまあったから利用したのか、小説の中には描写されていないが違和感があった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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