カテゴリ:つぶやき
続きです。
救急車で運ばれた旦那様と一緒に乗っていった娘からのラインを待っている間に パジャマを着替えて人工内耳のプロセッサを頭に付けて孫連れていつでも出かけられるようにスタンバイ! っと、そこへインターフォンが鳴った! 門のところまで出ていくと 警察官が二人! 「誰が亡くなったんですか?!」 えっ! 亡くなった??? どういう事!? すぐさま雫の口から出た言葉は 「誰も死んでいません!!」 それを繰り返していました。 今さっき救急車で運ばれたばかりなのに 誰が死んだか?って・・・・ その時に娘からラインが入っていることに気が付いて 「これから市民病院へ行きます!」 と伝えたら、「送りましょうか?」と言われて まず頭に浮かんだのが 帰るときに車がなかったら困る・・ なんでしょうね・・・ 多分旦那様は帰ってくるって思っていたんでしょうね。 だから車で行かないと…みたいな感じだったんだと思います。 あとから娘にものすごく怒られました。 「そんな時は乗せてもらい!! 事故起こしたらどないするん!!」って。 ですよねぇ~ 雫ってそういう変なときに冷静になってしまうみたいなところがあるんです。 耳が聞こえなくなってもう二度と自分の耳で音を聞くことはできないって宣告された時も 車の免許更新があるからと申請しに行っていたりして・・・ 変ですねぇ~~ すぐさま孫娘と一緒に病院へ行くと すぐに死亡確認されました。 6月20日0時5分 おそらく運ばれている間か家にいる間に事切れていたんだと思います。 だから警察が来るのが早かったんでしょう。 家で人が亡くなった場合は現場保存のために警察が来るんです。 それは義父が亡くなった時に経験しているので知っていました。 あの時も一緒に暮らしていた息子は家から出られず警察の尋問に答えていました。 病院で見た旦那様の顔はもうこの世に人の顔色ではありませんでした。 「脳内出血」 旦那様の死因名です。 頭の血管が切れたのだと聞かされました。 身体は生きていた時のままなのにお顔だけが違っていました。 そのあと旦那様は検視のために警察へ運ばれて行きました。 丸一日旦那様は帰ってきませんでした そして家に入ることなく葬儀場へと運ばれて行きました。 一日挟んでお通夜があり葬儀がその翌日となりました。 それからは何がどうなったのか・・・しっちゃかめっちゃか・・・ 息子と娘・義妹と三人であちらこちらへと連絡をしていましたが、 電話ができない雫は何もできずに只見ていることしかできませんでした。 いろんなことを決めるにしてもほとんど子供たちがやってくれました。 只ただ雫はそこにいるだけでした。 でもできることもありました。 旦那様の遺影を選ぶこと お見送りするときに着せてあげる服の用意 好きだった食べ物とかあちらの世界へ行くのに持たせてあげたいものなどを選ぶことでした。 そんな色々を入れる袋? 名前はなんていうのか知りませんが、セレ〇から渡された生地を袋に手で縫ってその中へいろんなものを入れてあげました。 なんでなんでしょうね。 旦那様は自分が死んだ時、祭壇のところへ自分が染めた藍染めの作品を飾ってほしいと言ってました。 そしてちょうど藍が一番きれいに育っている時期で藍が育っている桶も一緒に飾ってあげました。 お別れの棺の中には藍の葉っぱをいっぱい入れてあげました。 そして棺の上には六地蔵さんが描かれた暖簾を羽織ってあげました。 六地蔵さんはお迎え地蔵さんです。 孫娘が藍の種も一緒に入れてくれました。 あとから死んだじっちゃんにラインを入れていました。 「じっちゃん! 藍の種を入れてあげたよ そっちのほうでも藍を育てているかな?」 なんかね・・・たまらなくなってしまうよね。 このコロナの時期 普通にお葬式をするなんってと言われるかもしれなかったけど 大勢の人が集まるの大好きだった旦那様 迷わず普通にお葬式を出させてもらいました。 とてもたくさんの方に参列していただけました。 中には昨日旦那様とお話ししたばかりなのにと・・・絶句される方もいらっしゃいました。 本当にあまりにも突然で・・ あんなにも元気で精力的な人だったのにと皆さん同じ言葉を何度も言っておられました。 市長から弔辞を読んでいただきました。 雫は今まで自分の親などいろんな人の葬儀には参列していましたが、いつも何を言っているのかお経も全部聞こえるわけでなく。 ただみんなの後について同じように見様見真似でやってきました。 でも旦那様の最後のお別れを知りたくて 初めて葬儀に手話通訳を入れてもらいました。 市長の弔辞もすべて手話で通訳してもらいました。 市長と旦那様の出会いから現在に至るまでの色々を話してくださってました。 通訳を読みながら涙があふれて止まりませんでした。 来てくださった方々とのご挨拶も通訳を通じてお話しできました。 初めてでした。 そしてお山へと・・・・ お山というのは京都だけなのかどうかはわかりませんが、焼き場のことです。 お骨拾いの時に普通なら通訳は入らないとのことだったけど特別入れてもらって お骨になった旦那様のいろんな部分について教えていただきました。 こんなにもいろんなことをみんなは聞いて知っていたんだと改めて思いました。 旦那様は元気すぎて筋肉が多すぎて普通に焼く時間よりも少し長い目にしないとだめだったようです。 「この人は亡くなるはずの人ではなかった」と言ってもらいました。 背骨の形も崩れることなくきれいにそのままに残っていました。 順々に説明を受けてある一つの塊を見せてくださいました。 そこには小指の爪ほどの穴が開いていました。 「これがご主人様の耳のあった場所でこの穴が耳の穴です。」 そうなんだ・・・旦那様はここから音を聞いていたんだって実感として残りました。 焼き場の方は手話が少しできる方だったみたいでわかりやすく説明してもらえました。 不思議なもんですね、旦那様によって初めての色々なことを教えてもらうことができました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年12月14日 14時19分55秒
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