さようなら、叔父さん
すっかり日記がご無沙汰になっております。コメントへの返事も遅くなってごめんなさいね・・・サボり癖がつくと元のペースに戻すのが大変。その訃報は金曜の午後に届いた。ダンナの元へ奥さんから電話が入ったらしい。交通事故に遭って亡くなったと。ボイスメールに入っていたそのメッセージを聞いて、ダンナは叔父さんの携帯に電話をかけた。出たのは叔父さんではなく、彼の一番下の息子だった。彼はダンナと会話を続けることが出来ず、声を詰まらせて他の人と代わった。叔父さんと言っても血縁的には結構遠い。ダンナの母の母方の従弟だ。だけどまるで父親みたいに親身にしてくれる人だった。正確に言えば甥ではないのに、ワタシ達のことを”My nephew, my niece”と呼んでかわいがってくれた。留学して最初のクリスマス、女友達と旅行に行くと親には言って、ダンナ(当時彼氏)と一緒に帰省した。冬休みの間は寮も閉まってしまい、ワタシはいるところがなかったし。NYのダンナの父の家に置いてあったオンボロ車を運転して、ダンナの母の家族が集まっているフロリダに向かった。ワタシはまるっきり初対面、ダンナも長い間会っていなかったのに、まるで自分の子供が彼女を連れて帰省して来たかのように、歓迎してくれた。滞在中、ダンナのオンボロ車が壊れ、エンジン総入れ替えなんて羽目になった。叔父さんの3人の息子はみんなメカニックで、3人かかって直してくれた。学生でお金のないワタシ達を気遣って、ほとんどお金を取らなかった。ワタシ達の結婚式の準備をしてくれたのは、叔父さんだった。場所をとり、花や料理の手配をし、教会までのリムジンを雇うお金のないワタシ達のために、奥さんのリンカーンタウンカーで運転手をしてくれた。写真やビデオの係りも。だから叔父さんの写っている写真がなかった・・・日本から来たワタシの4人の友達の世話をしてくれたのも彼。カントリークラブのゲストハウスを格安で手配してくれた。招待客(と言っても数は知れていたが)を1時間離れた空港まで送り迎えしてくれたのも、彼と息子たちだった。ワタシの友達も滞在が終わる頃には、この叔父さんが大好きになっていた。ダンナの大学院が叔父さんの住む州にあったのは、偶然ではないのかもしれない。おかげでその1年間叔父さんに数回会うことができた。大ボケブラザーズも叔父さんたち一家とキャンプ場でやった感謝祭のことを覚えている。『・・・まだお葬式の日程は決まってないけど、あなたのお母さんと弟にも知らせておいてください。わざわざ来なくてもいいからね。・・・私は大丈夫だから・・・心配しないで。』事故の所為で心臓発作を起こして、あっけなく逝ってしまったらしいと、ダンナから訃報を聞いてもピンと来なかったワタシ。だけどダンナの携帯に入っていたこのメッセージを聞いて・・・叔父さんの死後、ほんのしばらくしか経っていない筈の叔母さんの声を聞いて・・・泣き声を聞かせないようにと抑えながら、でも抑えられないため息を聞いて・・・どうしようもなくこみ上げてきた・・・家族のためには、どんな努力も惜しまない人、それが叔父さんだった。誰かが困っていると黙っていられない、どんなに遠くにいても最善を尽くす人だった。口を出しすぎて迷惑がられても、それがベストだと思えばやり通していた。家族のためになら闘うことも厭わなかった。ふくよかだった叔父さんにぎゅっとハグしてもらうと、ふわふわして気持ちよかった。『家族愛』をヒシヒシと感じさせてくれる、暖かいハグだった。ワタシの4人の友達も、叔父さんのハグが大好きだった。彼女たちも、叔父さんの家族となって日本に帰って行った。去年の3月に会ったのが最後。その時のハグが最後。十分に抱きしめ返してあげたかな・・・思い出せない。だって叔父さんは大きくて、腕が回りきらなかったから。I miss you, Uncle Frank.I know you are watching over us from above.Thank you for the love you've given to all of us...