カテゴリ:哲学
子供も大人も老人もみんな人からやさしくされたいと心底願っているのに何故、やさしくされていないと感じてしまうのか?みんなが求める「やさしさ」とはそんなに特別なやさしさであるべきなのか?
普通の「やさしさ」では満足できない、しないのか?挨拶だって「やさしさ」の一環じゃないの?誰からも話しかけられない人にとっては。 ヤフーニュースで読んだけど、優先席に座っていた若者がお年寄りに席を譲らなかった状況の動画が問題になっているみたいだけどさ、どっちが悪いとかじゃなくて両者が悪いよ。ユーチューブの動画を見たけど、口喧嘩が小学生以下だったよね。老人「日本語わかるか?お前、日本人か?席、かわってくれよ!」若者「もう一回言えよ!なんでだよ。悪いけど席譲りたくない、そういう人には!残念だったな。」このやり取りの繰り返し。両方とも言葉が足りないんじゃないの?老人の頼み方にも問題があるし、若者の断り方にも問題があると思うよ。せめて高齢男性が「足が痛いから換わってもらえますか?」と言えば、若者だって「はい、わかりました。どうぞ座ってください。」となっていたと簡単に想像がつく。モノには言いようがあるでしょ。上から目線で「お前、換わってくれよ!」と頼むのはどうだろうか...せっかく日本語には「敬語」があるんだからさ。敬う言葉、これが敬語でしょ?年齢、性別、身分関係なくみんなが敬語を使い、言葉を足せ良かったんだろうし、若者が優先席に座っていなければ初めから問題は起きなかったと非常に感じた電車内での揉め事だったと思うよ。さらに言えば、「優先席」なんて物がなければこんなイザコザも起きなかったんだけどさ... 自分がやさしさを他人に求めるならば、まずは他人にやさしく接すれば良いだけでしょ!?こんな幼稚園で習うような事がどうしていい年をした大人2人にはできなかったんだ?人にはやさしく接しようよ! 皆はどう思う? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.04.02 10:52:57
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