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カテゴリ:起業
chikirinさんのブログ(http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090118)を読んでいて、起業家が少ないことは悲観的な結末に終わっているけれど、近頃それでいいんじゃないかと思うようになってきた。 私は客観的に見れば、そこそこの学歴を得て、そこそこの会社に就職して、そこそこの実績を上げてきてと偉そうなことを言って、今はワーキングプアとかニートに近いところにある43歳のおっさんです。 決して少ない存在ではなく、知人はそんなところにいる人が多いですけれど、社会からあぶれてしまったんかな。 chikirinさんの図を借りると、 私の短い人生は学生というニーとから始まり、新入社員というワーキングプアになり、そこそこの社員となるように、反時計周りにまわっています。そして起業というところに突っ込み、再度ニートへ突っ込むかな~、それではいかんと思いがんばってワーキングプアに突っ込むかなという状態かな。 まあでも、たった43年の人生でやりたいことをやらせてもらってきたので、まあショウガナイカ。いろいろ体験させてもらって、最後にゴールというのはないのでこんな人生でもええかなと思っています。せめてもう1周ぐらいしたいなと思いますけれどね。 上の状態と下の状態を、行き来するのはスキルの問題ではなく意識的な問題です。狭い意味で言えば人的スキルというのかもしれないけれど。 内的環境(自分の能力と家庭的な問題)と外的環境(社会的状況や周辺)のなかで閾値がどの程度にあるかということかな。 環境に応じて上下は行き来するもので、両親の家に住んでいたりお金に不自由がなければニートやフリーターと言えて、明日の生活のことも考えなければならないのだったら、ワーキングプアになる。 大企業の会社員や公務員、組織人と起業家と自由人の間って、行き来できないんですよ。収入と自由のトレードオフであり、収入と自由のどちらを選ぶかという究極の選択をした上でそれぞれにないものを積み上げてきた世界です。だから、大企業を辞めたからといって起業家にはなれない、起業家は大企業の社長になれない。それができるのは意識を変えることのできた稀有な存在だと思います。 それでも、スムーズにいけるものではなく、一度大失敗するなどリセットしないとだめでしょうね。 左右の移動は、能力やスキルの問題ですが、問題は社会がそれを求めているかという需要のことですね。 43歳のおっさんには、精神年齢が若くても若作りしても、難しいものがあるかもしれません。それならば、別の能力をつくっていくしかありません。どれだけ人を笑わせるとか、楽しませるとか、、、、違った、お役に立てるとか。 能力つけずに、そっちへ行きたいといっても難しいです。 それとも社会が歩み寄るのを待ちますか!? まあ、人生は短いのですから、テキトーに楽しみましょう。 起業家なんてものは、アメリカでもそんなにめちゃくちゃいるものではなく、みんな会社勤めをしています。まじめに生きる農耕民族ではなく、資源の少ないところで生きる狩猟民族ですから。 世の中が大きく変わりたいという意識があがれば、自然と狩猟民族が増えていき、このへんでいいじゃないと思えば農耕民族が増えていく。 私のような狩猟民族(自由人)は、だめだったら滅んでいけばいいのですから。 と、「起業家の本質」に書かれていました。 起業家の本質 と、開き直って生きています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.01.20 11:31:52
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