14歳の友達のこと。
こんばんは~☆前回の更新から、気が付けば2週間経っていました。私は、夜7時頃からピグ兄たちを寝かしつけるために一緒に寝て、まだ寝たくないみぃの横でとりあえず寝たふりをして、そのまま寝てしまう→ハッと深夜に目が覚める→活動するという変な生活を送っていますが、なんとか元気です(風邪がずっと1ヶ月以上治らないんだけど、なんでだろうなぁ…)何日か前に、深夜眠れなくて、めっちゃ真夜中に(3時頃だったかな)ブログ更新しよう!と楽天ブログにきたのに、まさかのメンテナンス?で入れなかった。楽天ブログは、そんなのめったになさそうなのにね…前置きが長くなっちゃったけど、今日は 中学の時の友達のことを少しお話ししようかなと思います。バレンタインデー、ホワイトデー、この季節になると幼なじみのEちゃんのことを思い出します。中2のバレンタインデーの日も一緒に登下校しました。その頃、私は神戸のある場所の団地の5階に住んでいて、同じ階の下の下の3階に彼女は住んでいました。会おうと思えば、玄関出て10秒で会える距離。私が小2の時にその団地に引っ越してきて、その時からの仲良しでした。バレンタインデーには、私もEちゃんもお互い好きな人がいて、その人にあげるかもしれないチョコを用意していたんだけど(確か一緒に買いに行ったような…)勇気がなくて渡せなくて14日の帰り、「チョコどうする?」と私が聞くと、彼女は笑って「自分で食べる」「私も自分で食べる」普段通り、笑って別れました。彼女を見たのは、その日が最後でした。2月15日、朝玄関出て、いつものようにEちゃんを誘いに行くと、玄関に不吉な紙が貼ってありました。なんか読み方わからないけど、中2の私でも、見ただけでその家に住む誰かが亡くなったとわかる張り紙でした。たずねないわけにもいかないので、ベルを鳴らすのはやめて、おそるおそるドアをノックするとお父さんとお母さんがとても悲しそうな顔で出て来られて、「あとで学校に連絡するから。先に行ってて。」すごくイヤな予感がしました。Eちゃんには3コ上のお兄ちゃんがいます。亡くなったのは、Eちゃんか、お兄ちゃんしかいないのです。なんかすごい複雑な気持ちで、1人学校に向かいました。その日はテスト期間で、みんな少しでもいい点取ろうと必死に教科書を見ています。私は、家に帰るまで真相を知らないのはイヤだと思い、お兄ちゃんには悪いけど、Eちゃんが無事でありますように!と思って、1階の職員室の前の電話で家に電話をしました。母が出て、「あの…朝、Eちゃんの家行ったらドアに変な紙貼ってあってんけど、まさか亡くなったのEちゃんじゃないやんな?」と聞いたら一呼吸あって「Eちゃんやで。」母の沈んだ声でした。もう、めちゃめちゃショックですごい泣きそうで…なんで??ってわからないことだらけで、混乱しつつ、聞いたら「帰ったら話しよ。教室戻り。」その日は、テスト期間だったんだけど、まったく何も手につかなくて…なんとか泣かないように平静を装っているつもりでした。(あとでわかることなんだけど、もちろん誰にも話せなかった)テストが始まる前に、副委員長の女の子が私のところにきて、「○○、どうしたん?みんな心配してるで。」私は隠しきれていなかったんだと思う。多分、泣いていたのかもしれない。それから家に帰って、どうして亡くなったのかと親に聞くと、心不全だったとのことでした。でも、あんなに元気そうだったのに…Eちゃんと同じクラスの仲よかった子と話すと、2人ともあることで1人の男子に嫌がらせされていて、自殺ではないかとうわさが広がりました。今でも病気でなくなったのか、そうじゃないかわかりません。でも、ご両親が病気で亡くなったと言われるなら、そうだと思いたいけど、どうなんだろ…困っていることがあったなら、どうして相談してくれなかったんだろう…すごくいい子だったから、私がいなくなった方がよかったのに…とか、しばらくは自分を責め続けました。お葬式の時、おなじ部活だった親しかった子数人で、最後に顔を見に行こうとした時に、社会の先生に止められて、「Eさんの元気だった姿だけを覚えておきなさい。」私もそうだな、と思って会いに行くのはやめました。最後の顔を見ていないからか、なんか亡くなったのがほんとはウソなんじゃないかって思うこともありました。でも、もう彼女はいないんですよね… そして、すごく落ち込む私に、部活の顧問の先生が「○○さん、Eさんの分も生きなさい。」ショックからすぐに立ち直ることはできなかったけど、一瞬でも自分が死んだらよかったのになんて思って、自分はダメだなぁと思いました。なんかもうよくわからないけど、高校に行って、社会に出て、また親友と呼べる友達に1人でいいから出会いたいと思いました。すごく悲しい出来事もあり…中学はいい思い出ほとんどないです。それでも、18歳の時に、親友と呼べる友達ができましたmixiでも一緒の友達です。(最近は放置してるみたいだけど…)あと、もう1人いたな^^;神戸で、シングルマザーでがんばっている友達です。メールとか苦手のようで、あまり連絡は取らないけど、ずっと仲良しです私が神戸を離れる時に、泣きながら ディズニーのDVDを押しつけてきたいいやつです。Eちゃんと住んでいた団地は、マンションに引っ越すことになり、19歳の時に別のところに引っ越したの。それから、何年かは、命日近くなると Eちゃんのお母さんに連絡して、お線香あげにお宅におじゃましていました。会うたびに、お母さんは「Eちゃん…覚えていてくれる人がいてよかったね。」と涙ぐまれるのが辛かったです。私が神戸を離れてからはおじゃますることはしなくなってしまったけど、彼女のことを忘れたりなんてしません。彼女はどう思っているかわからないけど、私はEちゃんのこと親友だと思っていますよ。私以上に、仲の良かったお母さん、お父さんが無念だったと思います。子供に先立たれることが、親にとって一番悲しいことです。人生、ほんといろんなことがあるけれど、前を向いて生きて行きたいと思います悲しいこと、ショックなこと…すぐに前向きになれなくてもいいと思うんだ。一時的にネガティブになったとしても、前を向くことができたら、それで人生幸せになれるような気がしてきますよまだまだ書き足りないくらいなんだけど、長文になったので、この辺で失礼します。最後まで読んでくださってありがとう追記…この記事を読んで、どんな風に思われるんだろうってふと思いました。この先、きっと誰にも話すことはないかもと思っていた友達の話を書こうと思ったのは、震災から1年経ち、被災された方、大事な人をなくされた方、私のように、阪神淡路大震災を経験された方、それぞれ色々と思うことがあると思ったので、思い切って書きました。大事な人を失ってしまったら… きっと何年経っても悲しみが癒えることはないでしょう。でも、天国でその方は、自分がどう生きるか見てくれているはず…いつまでも泣いていてはいけないのかも…と、私なりに考えて今まで過ごしてきました。これからも同じです。明るい方に向かっていけたらいいなぁと思いますだから、決して軽い気持ちでこの記事を書いたわけではないことをご理解ください。