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テーマ:幸せの法則について(434)
カテゴリ:感謝♪
例えばお友達が、手作りケーキを焼いてきてくれる。
私の事思って作ってくれたんだなぁ♪ ってすごく嬉しい でも、自分が今度の会議の時、みんなに食べてもらおう。 とか、考えながらケーキ焼いたりいろいろ段取りを考える時間は、 もらった時のあのワクワク感が、もっと長い時間味わえるような感覚 人は、 与えられる事より、与える事の方に、より多くの充足感、満足感を得る生き物だと 何かに書いてあった。 本当にそうだな。と思う でもそれは、 「相手の為にしてあげている。」とか、 「人に喜ばれる事だからやろう。」と思っての行動だったら、 相手が思うような反応を示してくれなかったら、 なんだか悲しい気持ちになってくる 結局、腹が立ったり悲しくなるというのは、 相手の為。と言いつつ、 自分の自己満足の為の行動に過ぎなかったと言う事。 私が好きな話。 昔、「良寛和尚」という人がいた。 「良寛さま」と人から親しまれ、お寺は貧しくて、 物やお金を与える事が出来なかったけど、 人に対していつも何か与えたいと思っていた。 そこで、自分の口から出るすべての言葉が、 人をあたたかくする言葉でありたいと意識して生きた人だったと。 私がステキだなぁ。と思う人たちはみんな、 相手に自分がしたことの反応を求めない。 でも私は、 まだまだそんな領域まで悟る事が出来なくて、 昨日の行灯もおばあちゃんに見せたら、 「へ~すごい!」とか「私の為に作ってくれたの?」とか言ってくれて、 こんな風に作って…って会話がはずむ なんて期待してしまったので、 おばあちゃんの反応がやっぱり「あら。そう。」 だった事に、ちょっとだけショックを受けてしまった 口が上手じゃない人なんだって重々わかっているのに、 やっぱり「いい反応をもらいために作った」という私の気持ちが、 おばあちゃんの為に。じゃなかったんだな 私にとって、大きな壁みたいなおばあちゃんの存在は、 すごくいい鏡になってくれます おばあちゃんが反応薄いのは、 頑固一徹。家の中の事はすべておじいちゃんの一言で決まる存在と、 11年前になくなった、 潔癖症頑固な曾おばあさんにずっと嫁として 我慢して仕えてきたから でも私は、 おばあちゃんの事、大事にしてあげたいと思っているんですよ なかなかうまくいかないけどね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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