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カテゴリ:所感
10月初旬に母が亡くなりました。
3年前には父が逝き、自分もいつかは死と対面する、そうなる運命と感じています。 父は病院で、母は自宅で息を引き取りました。 病状や個人の希望にもよりますが、最後は自宅で迎えたいと思う方は多いと思います。宗教的な考えを除いて、だれしも思うところでしょう。 自宅で最後を迎えたいと思ってみても、自宅の受け入れ体制が整っていない場合は、病院としても、介護や看護体制が確立していない場合は、実現できないと思われます。病人本人の強い希望のみでは到底不可能です。やはり家族や身の回りの世話をしてくれる介護人・看護者がどうしても必要です。 介護保険や医療保険があるから大丈夫?と思っているなら大間違いです。 自宅で介護・看護するには愛情や自分もいつかはそうなる日が来ることを思いつつ、親身になって世話をする必要が有ります。そして多くの友人や知人が毎日、心配顔で様子を見に来るような「人間関係」が必要なのは言うまでも有りません。 ともすれば希薄な関係で終わることのない生き方やつきあい方は、生きている時に必要です。 多くの友人や知人に囲まれて、最後の時を迎えることができたなら、幸せに尽きることと思います。 できたなら、自分もそうありたいと願って止みません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.08.01 16:00:40
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