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カテゴリ:所感
今日は終戦の日。
1945(昭和20)年08月15日正午、昭和天皇はラジオを通じ国民に降伏を伝えた。 一般には「玉音放送」で知られる。 その中には「堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」という一文がある、 現代語訳するなら「耐えられないことにも耐え、我慢できないことにも我慢し、今後の未来のために平和への道を開いていきたい。 という昭和天皇自身の決意であり、国民に求めたものではない。 戦前の大日本帝国憲法の法体系の下では天皇の権力は絶大な主権者であり、「統帥権」でひとくくりにされた。 戦後75年、政府やマスコミが、上記一文を都合良く使ってきた節がある。 15年間に及ぶ戦争により経済は困窮疲弊し、食糧の自給・調達さえままならない事態になりつつあった。 「陸海軍は天皇に直属する」という規定を盾に政府を無視し暴走した結果、戦没者は軍人・軍属は230万人、民間人は80万人に及ぶ。 多くの一般国民が犠牲となり、沖縄での地上戦、本土空襲を受け広島・長崎への原子爆弾によりさらに死者は増え、これ以上犠牲者を出すわけにはいかない。 よってポツダム宣言を受諾し「戦闘を終了する」、と述べている。 敗戦や降伏という文言は無く戦後75年もの間、終戦という語句が使われている。 また、ポツダム宣言の受諾が遅れた理由のひとつに「国体の護持」がある。 日本国憲法の草案は旧帝国憲法の字句を変えたものであった(松本試案)ことから連合国最高司令部(GHQ)は拒否した。 GHQは草案を提示し日本側に再検討を求め、GHQ草案に沿った新憲法草案を公表するに至った。 撮影 2020年08月14日18時40分 1/15 F6.3 ISO640 長岡市寺泊上荒町 寺泊港西埠頭第一防波堤 先端部から 出港する遊漁船 背景の山容は弥彦山(634m) 人気ブログランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.08.15 23:27:52
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