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カテゴリ:北朝鮮の話し
北朝鮮は、朝鮮戦争以降から武器の自給自足のために沢山の軍需工場を建設して来たが、特に1960年代に中国-ソ連関係が悪化したことを受けて、一層軍需産業に力を注いだ。 軍需産業は労働党傘下の第2経済委員会が専担しているが、第2経済委員会は傘下の多くの軍需工場を通じて、銃砲、艦艇、航空機などの各種軍事装備の生産はもちろんのこと、軍事装備の開発と輸出入業務まで管掌している。また専門の軍需工場以外に、内閣所属の民需工場にも「軍需職場」を設置して、第2経済委員会の指導下で軍服、軍靴などの補給品や、小銃、消火器、軍需部品も生産している。北朝鮮は軍需産業を段階的に発展させて来たが、1960年代は4大軍事路線を推進しながら、軍需工場を一層拡張させる一方で、主要金属工場、工作機械工場、精密機械工場、自動車工場、トラクター工場、通信機械工場及び造船所などを、直接或いは間接的に軍需品を生産できる体制に改編した。 1970年代からそれまでの模倣生産の段階から脱して、新しい武器の開発に力を注ぐ一方で、戦車を含めた装甲車・火砲・共用火器及び各種弾薬を量産して、自給自足が可能になった。艦艇は潜水艦をはじめとした各種戦艦を建造できるようになったし、主要精密電子機器と部品以外の武器の大部分の自給体制を維持することができるようになった。 1980年代以降、北朝鮮は武器の自主開発段階に突入して、量的拡張だけではなく質的改善にも力を注ぎ、一部の電子及び精密誘導武器、最新型の戦車及び高度の航空装備以外、大部分の自主生産が可能になった。 1990年代に入って、ロシアの技術支援によりMiG-29機の組み立て生産を推進した。前方地域へ配置したら、韓国のソウルまで攻撃が可能な長射程砲を生産するなど、在来式武器の生産能力を蓄積して来た。しかし、1990年以降の持続的な経済難により、在来式戦力の量的増強が全般的に鈍化し、小型潜水艦、AN-2機など奇襲戦闘装備の生産とミサイル、生化学武器など、戦略武器の開発に重点を置く傾向を見せている。1993年5月、ノドン1号ミサイルを試験発射し、1998年8月にはテポドン1号ミサイルを試験発射することにより、中長距離ミサイルの開発能力を保有するようになった。 また、北朝鮮は約2,500~5,000トンの化学作用制を分散して施設に貯蔵しており、炭疽炭、天然痘、コレラなどの生物武器を自主的に培養して生産することができる能力があると推定される。 慈江道を中心に分布している軍需工場は、現在、約200カ所で、大部分が地下に建造されている。これ以外にも約110カ所の一般工場を戦時転換工場として指定して、戦時には直ちに軍需物資を生産できる体制を整えている。1978年からソ連の技術支援により、T-62戦車を生産して、アラブなどの紛争地域に輸出し、1980年代後半からはスカット・ミサイルなどを中東地域などに輸出している。 北朝鮮の軍需分野で最も立ち後れていた部門は電子と通信分野だったので、1980年代から中国、ソ連製の有無線通信装備の模倣生産を試みて、連隊級以下の小部隊用の交換台及び電話機、低出力無線機など、在来式装備の量産体制が確立されたようである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年05月20日 11時08分05秒
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